iPadがある、ということ
04/13/2010 4件のコメント
「2010年以降、iPadを考慮に入れずに世界は語れなくなった」
などと、ちょこっと物語の予感めいたセリフから始めてみましたzackyです。
しかし今年は2010年か、なんて改めて思ってしまうと意識せざるをえないのがモノリス。『2001年宇宙の旅』シリーズに登場するモノリスは地球外知的生命が作り出したとされ、生命を(原則として)進化させるこのモノリスの不思議な力によって、物語の展開が駆動されています。
モノリスは想像上のモノですから面白いなー、で済むわけですが、iPadは現実に私の目の前にあって、スターゲートを抜けてたどり着いたロココ調の部屋でモノリスと対峙することになったボーマン船長よろしく「さて、どうしよう」と今私は沈思しているわけです。いろいろと前情報はありましたが、いざ目の前に来ると悩みます(笑)。
ただ、やっぱりこの表が黒で裏が手触りの良いアルミ色の一枚の板は、私たち人類の可能性をそれとなく示唆しているような気が、なんとなくします。わかんないんですけど(笑)。
でも一つ予想されるのは、私が愛してやまないMacBook Airの存在意義が薄れてくるかもしれない、ということです。当初、MacBook Airの美しさは、いかなるデバイスの価値をも跳ね返すだろう、と考えていたのですが、iPadが目の前に来て、その考えが危うくなっています。
ジョブズが意識して2010年にiPadを登場させたかどうか不明ですが、あれだけスレートPCに関する情報をリークしておきながら、ここまで引っ張っていたのは、やはり満を持して2010年、という意図があったと邪推したくなる。
MacBook Airは洗練された工業デザインの最高位に位置するもので、他に類を見ない孤高の存在である。
iPadは、単なる板です(笑)。いや、もちろん綺麗ですし、すごく作りこまれてます。それは確かです。でも、MacBook Airのような、それ特有のデザインの美しさを感じることはない。
だから、一枚の板、っていうところが、やっぱり問題なんです。
もし私がそれがなんなのか知らないでiPadを手渡されたとしたら、どんな反応をするだろう、と。
それこそ『2001年』で最初に登場する猿達のように、訝りつつ近づいて、触って、興奮して、新しい世界へ、ってなるわけじゃないですか。
つまり、iPadには、MacBook Airのような最高のデザインを持つオブジェクトでさえ叶わない、ある種神秘的なとさえ言えるような潜在性が備わっている、と。
モノとして既にそうですし、2010年というこの時が暗示するのは、今(2010年)を「未来」として描いてきたアーサー・C・クラークの物語世界の全ての含蓄であり、ひとたび現実に在るモノがそうした特定の想像の世界の価値と強烈にリンクしてしまうと、後は止めどなくそのモノ自体が惹起する連想が立ち現れてくる。
iPadは、ただのモノでは無くなってしまう・・・
って、プチパラノイアな気分さえ提供してくれるiPad。ナイスです(笑)。
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