iPad、何に使いますか?の意味。

さて、28日発売日の祭りの雰囲気を仕事の合間にツイッターなどで垣間みながら、こうしたデバイスを先んじて入手してしまうことの善し悪しを、みなさんのお祭りに乗り切れない自分の姿を客観的に眺めながら感じておりましたzackyです。個人的にはiPadの熱狂をお祭として部分的に昇華させたこともあり次なるアップルの一手=WWDCにもそろそろ関心を向けたいと思っていたりするのですが、でもまだiPadについてひとつ確認しておきたいことが。

全国各地でiPadをゲットされたみなさんにテレビなどの取材の方々が必ず「何に使われますか」という質問を投げかけていらっしゃったのをお気付きの方も多かったと思います。これはもちろん、用途が多岐にわたる「ただの一枚の板」をどう使うか、まだ誰も本当のところわかっていないからで、テレビ局としてもこのあたりのことを確認したいという意図があったのでしょう。考えてもみてください。きょうび例えばパソコンを買った方に「何に使われますか」なんて質問をしようものなら、「あんたバカにしてんですか」という答えが帰ってきてもおかしくありません。その理由はもちろん、仕事でこれこれの作業に使う、家でインターネットを見たりメールをする、場合によってはテレビを見る、など、すでにその用途についてほとんどの方が例えおぼろげであってもイメージできる状況がパソコンについては存在しているからです。

方やiPadについては、ネット、メール、ツイッター、スケジュール管理、電子書籍、ゲーム、ビデオビューア、音楽再生、音楽演奏、フォトフレーム、教育などなど、可能性が広すぎて、決め手になる使用目的を決められる人のほうが少ない、それもすべて手軽に持ち運べるという条件で使えるということで、テレビ局の方もそのあたりのiPadの「あいまい」な位置づけを一応確認しておきたい、ということだと思います。

直近ならばKindleが、少し前なら「パーソナルコンピュータ」が、その前にはテレビが、ラジオが、「本」が、といった具合に、新しい「メディア」が出てくる度に驚きとも畏れとも不安とも期待ともつかない「気分」が、社会に漂うことになります。考えてみればグーテンベルグの後、本が登場した時でさえ、本はある種の権威に対する脅威だ、と恐れられていたわけですもの、iPad他電子書籍が出版流通業界に対する脅威だ、という議論については、もうこの流れを変えることはどっちにしろ無理ですし(かといって紙媒体の本がなくなるとかいうこともあり得ないですけど)先を見据えた議論ができない事にむしろバカバカしさを感じてしまうしかありません。新しいメディアは常に現れてくるわけで、社会現象としてこれだけの注目を集めた新種のメディアが何らかの影響力を持たないはずがありませんから、iPadやその他これから出てくる類似のデバイスをめぐって、私たちが何をできるか、ということを積極的に、建設的に考える「しかない」と言ってもいい。

もちろんこうしたメディアにおいて、例えば広告ビジネスとしてアプリベースのiAdとGoogle的モデルのどちらが優勢になるのか、という議論は続いていくことになることとは思いますが、パソコンのあとに来るデバイスとしてiPadがひとつの非常に有力なモデルケースであることを示した、ということは疑いのないことです。

そして、忘れてはならないのが、このデバイスを「有力」なモデルケース足らしめたのが、その極めて完成度の高いUIであるわけです。当ブログでもアップルが開発してきたタッチパネルの技術の完成度の高さは何度か取り上げましたが、ジョン・グルーバーも主張するように、この完成度はアップルの「職人」である技術者たちが、決して一朝一夕ではない、丹念な積み重ねによって築きあげてきたものです。

文字を手軽に携帯することを可能にした「本」、離れたところにいても不特定多数の人に声や音楽を届けることを可能にしたラジオ、それに映像を加えたテレビ、情報処理能力を飛躍的に向上させた「パソコン」、そしてiPadは、その次に来る新しい「メディア」だ、と言っても過言ではないデバイスである。

誰もが使い方を知らない。ゆえに自然と発せられる「iPad、なんに使いますか?」の質問。

しばらくすれば、みんなこんな質問を投げかけられたら「あんたバカにしてんですか?」と言いたくなるような時もくるのでしょうが、私としては、いましばらくは、この不思議な物体に触れる喜びを純粋に楽しみたいと思います。

大盛況! iPad祭り in 京都!

先日来より告知しておりました「iPad祭り in 京都!」、おかげさまで大盛況のうちに終了いたしました。

ブログをはじめてまだ半年と少しであるにもかかわらず大胆にもオフ会を企画するという暴挙に出て、どうなることかと気をもんでおりましたが、オフ会開催のきっかけをつくっていただいたThe Art of Marr’s BlogMarrさんの他3名の方に集まっていただき、計5名で会を始め、時間が経つにつれて祭りの輪がどんどん広がり、盛況裡のうちに会を終了することができました。涙が出るほどうれしかったです。ありがとうございました。

Marrさんが所用で上洛される、それもiPad発売日の翌日ということで、以前私が上京した折にオフ会を企画してくださった経緯もあり、「ならば役不足ながら私zackyがオフ会を企画いたしましょう」と頑張って申し出てみたものの、果たして大丈夫なんだろうか、と不安でございました。

ところがどっこい。8時からという遅い開始時間にもかかわらず、参加表明していただいた順に、名古屋からはmomo nice daysodeco6さん、滋賀からsiteSNJFRNsnjfrnさん、そして福岡からは私も以前から訪問させていただいていたうま口Mac G2p0deeさんと、そうそうたる方々に遠方からもお集まりいただき、iPadを中心としたガジェット談義に花を咲かせました。

会場は京都駅ビル内にありますアイリッシュパブ Man in the Moon。

本場英国・アイルランドのパブの雰囲気を漂わせるお店で「iPad祭り in 京都!」は始まりました。Marrさんが東京から8時過ぎにご到着の予定でしたので、先に集まった4人で先に開始。ビールを飲みフィッシュ&チップスをつまみつつ、アイスブレーキングが終わった頃に満を持してiPad登場! とその直後にMarrさん登場! 計4台のiPadが少し肌寒い初夏の京都に集まりました。

少し小さめのテーブルにガジェット大集合。

Marrさんとp0deeさんと私はKindle 2所有者でもありますのでKindleも一緒です。加えてiPhoneと、snjfrnさんには私は実機に触れるのが初めてのNexus Oneをお持ちいただきました。

iPadの布陣は、Wi-Fi 16GのUS版と国内版、Wi-Fi 32G、そしてMarrさんのフルスペック3G 64G(!)という、これまたすべてスペックが異なるものが集まる、という面白い結果に。おそらくiPad+Kindle他のガジェットが一堂に会する(西日本で?ひょっとして日本で?)最初の機会になったのではないかと思います。

前日のiPad発売日はMarrさんのお誕生日でもあり、とにかくめでたい、お祭り気分に満ちた雰囲気でした。

それで、です。さらに面白い展開が。

店内ではiPadが登場した時点からすでにどよめきが起こっていて、しばらく5人で話しておりましたらいろんな方から声をかけていただきました。本場英国ではパブと言えばそもそもが社交の場。もう、祭りの参加者かどうかなんて関係ありません。周りの方々みんなお祭り騒ぎでした。

たぶん、昨日お店にいらっしゃったかなりの方がiPadを買われることになるのでは、と思ったり(笑)してます。

私は終電の関係で少し早めに祭りを後にしましたが、最後までいらっしゃったMarrさんp0deeさんによると、最終的には店じゅう(!)iPad祭り状態だったそうです。今度は泊まりの準備してきます(笑)。

というわけで、思いもよらぬ大盛況のうちに「iPad祭り in 京都」な夜は幕を閉じました。

実は他にも相当数の方が、参加したいけど時間が合わないとのご連絡をいただいており、潜在的参加者は多かった模様です。ご連絡いただいていた皆様、申し訳ありませんでした。

そしてご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。ちょっと味をしめてしまいましたので、また懲りずに企画するかもしれませんので、次回も是非よろしくお願いいたします(笑)。そしてなにより、KindleにつづいてMarrさんにiPadを買わせてしまったこと、後悔・・・なんてするはずがありません。MarrさんがiPadを買わないわけがない(笑)。ホントに良かったです。師匠、これからもよろしくお願いします!

というわけで「iPad祭り in 京都」の報告でした。

ipad発売日、ロンドンの様子

ツイッターのTLの流れの速いこと。

昨日のiPad発売、やはり各地で祭りとなっておりました。仕事の都合でみなさんの興奮に乗り切れない自分が悲しくもありましたが、ツイッターをちょいちょい眺めつつ、その人の営みのほほえましさを感じられる祭りの日の熱気をひしひしと感じておりました。やっぱりお祭りを祝うには並ぶのが一番ですね。

海の向こう、ヨーロッパでも同日に発売されましたが、早速ロンドンからもpocket-lintによる発売開始時の報告が入っています。リージェントストリートのストアの前には8時の開店前に500人が列を作っていたようです。一番乗りは17歳のジェイク・リー君で、前日の正午から並んでいたとのこと。日本ではさらに強者がいらっしゃいましたね。

いやー、うれしそう。

アップルには末永くこういうグローバルなお祭りを演出してもらえる企業であってほしいです。

iPadと未来のビジョン

”Consumer tastes have overtaken the needs of business as the leading force shaping technology.”(消費者の嗜好性が、テクノロジーを形作る主要な力として、ビジネスにおける必要性をついに上回った)

先日、アップルがマイクロソフトを抜いて米国で2位の資産価値を持つことになった日のNew York Timesの記事に、上のような文言がありました。(この場合の「消費者」とはもちろんこうしたものを買える社会的経済的な状況に少なくとも身を置いている人ということになりますがそれはさておき)つまりは、消費社会が一定の成熟を見た、ということになります。

今回、アップルという企業の価値を押し上げた大きな要因のひとつがやはりiPadであることは間違いありません。21世紀も最初のディケイドを終えようとしていて、もう少しすると「さあ22世紀には・・・」なんていう提言も散見されることになるでしょう。そうした議論のなかでiPadはおそらく中心的な位置を占めることになるでしょう。

「消費者の嗜好性」と「ビジネスの必要性」が対比させられていますが、よくよく考えてみれば、「ビジネス」も「人」があってこそ成り立つものですから、そもそも人の嗜好性が問われて当然なわけですが、アップルのようなビジネスが成功をおさめたという事実は、流行に左右されるような消費者の「行動」パターンだけに基づいて売るようなビジネスモデル「ありき」のような発想とは違うところで実は消費者の心理は動いている、ということの証明になったのではないかという気がします。

今、奈良に住んでいます。奈良市に「くるみの木」という雑貨屋さん兼カフェがあり、全国的に人気を集めています。オーナーの石村由起子さんは香川県高松市生まれ。生まれたのは1952年、ジョブズと同世代の方です。Macintosh発売と同年(!)の1984年、奈良に店をオープンされました。最初はたった12席のカフェに雑貨を置いて、というささやかなもの。でも、今では全国からお客さんを集めるお店になっています。実は、私はこのふたりの人にどこか共通のものを感じています。ジョブズの徹底した製品へのこだわりが賛同者を集めたのと同じく、石村さんの「愛おしいもの」へのこだわりが、日本全国から賛同する人を集めた。

以前のエントリで、アップルの製品は「問題なく動いてくれる限りは、一生でも使っていたいと思うものばかり」だと言いましたが、これって「意図的陳腐化」が意味をなさない製品だということですよね。一回気に入って買ってしまうと、ずっと使いたくなる。場合によっては実用にたえられなくなっても使ってしまう(笑)あるいは中身を取っ替えてむりやり実用にたえるものにしてしまう、などという人もいます。

仕事と私生活を分けるのは当然ですが、仕事が「人」と切り離されてはいけない。「人」はモノで生活する。モノは「人」によって作られる。

私は今、アーサー・C・クラークな宇宙的ビジョンと、石村由起子な、自然と「人」が共存するビジョンの両方の未来的ビジョンを同時に描いています。おもしろいことに、MacにしてもiPadにしても、どちらのビジョンにもしっくりくるんですよね。

たかがモノ、されどモノ。来ては去り行く人の儚さに比べれば、モノは長く続きます。そのモノが、人間本位で作られなくて、誰が思い入れを持てるでしょうか。

iPadは、そういう思いを持って人が使い続けられるモノだと思います。

勝つとか負けるとか、って不毛な感じが・・・

どうも、落ち着かない感じです。

いや、もちろんiPad国内発売前日というのもあります。が、もうひとつの落ち着かない理由は、前回のエントリでアップルの時価総額がマイクロソフトを抜いたことだけ取り上げましたが、ソニーのストリンガーCEOが Google I/O 2010 で打倒アップルを宣言した、というGizmodo Japanの記事が目に入ったことです。

私はこのブログでも一貫して、アップルの製品が、デザインの秀逸さに加えて、実用面で完璧なまでに使いやすい、という点を主張してきました。

当時の私はそういうところにはおりませんでしたが、苦しい時期に株を買い製品を買うことでサポートしようとした、というような方々も、デザインがいいというだけでアップルを支える、などという行為に出るはずもなく、トータルに判断してアップル製品が優れている、と判断されたから、アップルを支えようと思われたはずです。

結局のところ、ユーザーが使いたいと思う製品を作る、という一点からブレなかったことが今日のアップルを築いていると思うんです。時価総額が2位になった、というのは後からついてきたことですし、これから逆に、風当たりが強くなるのは目に見えていて、守りに入ってしまうことがむしろ私には心配。

つまり、マイクロソフトを抜いたから、といって、その立場に恋々としてほしくない。時価総額がいくら、ということについては、いずれどこかがまたアップルを抜いてしまうことは目に見えているんです。そのときに、「昔はアップルもよかったのに」という声ではなく、「これだけの製品をつくってるんだから、そんなのは関係ないよね」という声が聞こえるようなもの作りを続けていてほしい。

そんな思いがこみあげるiPad国内発売前日の午後です。

アップル、米国2位の企業に。

アップルの時価総額がついにマイクロソフトを抜いて2位に。

New York Timesも速報で伝えました。

昨日(現地は取引終了間もないですが)午後2時30分にアップルがつけた高値が2271億ドル、マイクロソフトが2263億ドル。終値でもアップルが2221億ドル、マイクロソフトが2192億ドルと逆転状態が続きました。トレンドからみても、流れが逆転することはないようですので、エクソンモービル(2820億ドル)に続く米国第2位の企業確定ということになります。

記事では、10数年前には瀕死の状態にあった企業なだけに、この交代劇はビジネスの歴史上においても最も驚くべき出来事のひとつだとしています。加えて、”Consumer tastes have overtaken the needs of business as the leading force shaping technology.”(消費者の嗜好性が、テクノロジーを形作る主要な力として、ビジネスにおける必要性をついに上回った)として、これは文化的なシフトである、とも。

事実は事実。私も襟を正します(笑)。

iPadのバッテリ性能は思った以上です。

ひさびさのKindle、とiPadでツーショット

新しくやってきたMacBook Proの2台に入れ込んでいる間に、(恥ずかしながら)iPadが10日間ほど休眠状態になっておりました。

でも、この状態が思わぬ実証実験に。

今朝久々にiPadをケースから取り出して、「もう電池切れてるかな」と思ってボタンを押したところ、なんと “91%”の表示が!

よく考えてみると、前回充電してから10日以上経っている気もしてきました。おまけに、その間には1時間ぐらいは使った記憶が。

iPadは電源をオフにしなくてもほとんどバッテリーを消費しないようです。いろいろとあってiPadを使えない状態でしたが、けがの功名(?)でまた新たなiPadの使える側面が明らかになりました。

究極のモノとしてのMac

ご無沙汰しております。少々立て込んでおりまして。というか、Macな環境が刷新され、仕事をしたくなってしまって(笑)。ブログもしっかりやりたい。痛し痒しです。

まあしかし、そんなふうに思うと、私が今いかにMacに促されるような形で生活しているか、ということがわかります。

で、私がMacに入れ込んでいる理由は、もちろんこれが情報処理機器として極めて優れているということもありますが、そのデザインにもあります。

昨日ふと、そういうことを思って、久々にあのドキュメンタリー映画 Objectified を見てみました。

この映画、昨年末頃だったかに数回見たのですが、当時まだアップル大好き宣言もしていなかった頃(もう兆候はありましたが)ですのでそれなりに見てしまっていました。今観てみたら、オープニングのナレーションはその時はあまり意識していませんでしたがよく聞いたらジョニーだし、ディーター・ラムズがアップルを紹介する形でジョニーのインタビューにつながっていく構成だったり、締めの部分にもジョニーが登場したりと、映画全体が微妙にアップル・フィーチャードな構成であることに改めて印象を深くしました。このあたりはまた機会があれば記事にしようとも思っています。

今回この Objectified を見直してみて何より私の琴線に触れたのは、インタビューのトリ、New York TimesのRob Walkerのコメントでした。意匠性に優れた、丹念に作り込まれたモノがひとりの人間にとっていかに重要であるかを改めて認識させてくれるコメントでした。ので Here it is。

“If I had a billion dollars to fund a marketing campaign, I would launch a campaign on behalf of things you already own. Why not enjoy them today? Because we all have so many things that are just around, they’re in the closet, they’re in the attic, whatever, that we don’t even think about anymore because there’s not enough room left in our brains because we’re so busy processing all the exciting new developments. At the end of the day, when you’re looking around at the objects in your house and you’re deciding “what here really has value to me?” they’re going to be the things that really have some meaning in your life. The hurricane is coming, you have twenty minutes, get your stuff and go: You’re not going to be saying “Well that got an amazing write up in this design blog”, you’re going to pick the most meaningful objects to you, because those are the true objects that truly reflect the true story of who you are and what your personal narrative is, and the story that you’re telling to yourself and no one else because that’s the only audience that matters.”

(もしマーケティング作戦のために10億ドル提供できるなら、みんながすでに持っているもののための活動をはじめるよ。今日、それを楽しもうよ、ってね。すでに私たちの身の回りにたくさんのものがある。クローゼットにでも屋根裏部屋にでもどこにでも。ただ日々の忙しさにかまけて、持っているものすべてに考えをめぐらせることができないんだ。一日の終わりに家にあるモノたちを見回して、「自分にとって本当に価値のあるもの」を決める。そうするとそれは私たちの生活のなかで本当になにがしかの意味があるものになる。ハリケーンが近づいてきて逃げるのに20分しかない。持ち出すものを決めて、行かなきゃならない。「そういえばあのブログにこれの素晴らしい記事があったな」なんて言ってるヒマはない。そうするといちばん自分にとって意味があるものを選ぶことになる。それが本物なんだ。その「モノ」が、自分の真の姿を、自分しか知らない自分の物語を、自分が本当に言い聞かせなければいけないほかならぬ自分に語りかけるべき物語を映しているんだ)

たかが「モノ」を啓発するために10億ドルのキャンペーン、と思うなかれ。この映画を見ると、本当に自分にとって大切なモノ、って何だろう、とすぐさま考えたくなります。ジョニー・アイヴが彼のインタビューセクションの最後に”That’s quite obsessive, isn’t it?”(ちょっと取り憑かれているみたいだろう?)って言いますが、私は今、MacBook Proの美しいデザインに取り憑かれております(笑)。

ていうか、私、すでにかなり “objectify” されてきてます。ジョニーの原点を知りたくなって、ディーター・ラムズのLess and More図録、買っちゃいました。昨日届いたので今から読みます。なんか、自分が非常にヤバい(笑)方向に進んでいっていると思うのは気のせいでしょうか?


MacBook Proと「メメント・モリ」

私、今年で42歳。そろそろ人生の終点を意識しながら、仕事の質・量を考えたり、家族や身の回りの人達へ対処の仕方を考えたりしていこうかな、という感慨をこのところちょいちょい抱きます。若いときももちろん「メメント・モリ」で頑張ってはきましたが、そろそろリアル「メメント・モリ」な域に足を踏み入れたな、と。

人生の諸先輩方に言わせれば何を青二才が、というところだとは思うのですが、人生っていつ終末が訪れるかわからない。もちろん生きる気は満々ですが、いずれにせよ限られた人生、美しいものを愛でながら生きていたい、なんて思ったりしています。

それまでもアップルの製品はぼちぼちと使っていましたが、齢40を前にしてMacBook Airと私が出会ってしまったのは、やはり運命だったのかな、と思います。当時はわかっていなかったと思いますが、私にとってAirは、仕事の道具であると同時に、「メメント・モリ」な人ひとりの人生の、「素晴らしいモノとともに生活したい」という欲求を見事に満たしてくれるものだったのかな、と思います。くどいようですが、MacBook Airは「使える」マシンです。それだけは確かです。そして同時に美しいマシンです。そんなマシンと共に死ねるなら本望だ、と私は思ったりします。

美しい、と思うものは人によってまちまちだと思います。私の場合、たまたまMacがそういう私の気分とシンクロした、ということなんでしょう。

今回新調したふたつのMacBook Proに触れるたび、これらのマシンと時間を共にすることに喜びを感じます。

そんなマシンなんです。Macって。これってなんだか、究極な感じがするんですけど。あれ、13インチのレポートするつもりが、いつのまにか大風呂敷広げていました。

13インチのレポートは次回ということで(笑)。すみません。

MacBook Pro 17インチ。やっぱりこいつぁースゴイ。

実はまだ引越しの整理がようやく8合目といったところなのですが、でもMacBook Airでアップル帰りを果たす以前からよく訪問させていただいていた「おかゆMacBook」のJackさんに先日の記事を取り上げていただいて非常に上機嫌なzackyです。Jackさんありがとうございます。

上機嫌はいいのですが公私に慌ただしくなかなか本気の作業以外でMacをいじることができないので悲しい。それでもMacBook Pro 17インチ、いきなり威力を発揮してくれています。画面が大きいのがやはりイイ!

Macに出会う前の軽量モバイル一辺倒の時代ならば17インチの「ノート」を買う、ということは全く想像できないことでした。つまり「ノート」として大きすぎる。ノートの意味ないし、それだけ大きいノート買うならデスクトップ買えばいい、ぐらいに考えていたんです。

でも結局、考えてみれば当たり前のことですが「軽い」ということはスペック上それとトレードオフになっていることが必ずあるわけで、その弱い部分をどれだけ許せるか、ということになるわけです。それまではディスプレイサイズも8インチや10インチ、大きくて12インチのものばかり。重要なのは1キログラムという重量だったのです。

そんな重さばかりにこだわっていた私がMacBook Airと出会ってからというもの、重さは実はそれほど重要ではない、重要なのは一定の大きさのディスプレイやキーボードであり、作業効率が落ちない程度のスピードが維持できるスペックがあるか否かである、と考えるに至りました。それまでにも使っていたThinkPadなどは、そういう要望を満たしてくれるマシンとして認識していたのですが、とにかくAirにはまずそのデザインに降参。HDDの遅さは問題でしたが、SSDに換装後はほとんどの作業において全く不満はない。

ではなぜ今回MacBook Pro 17インチと13インチに鞍替したのか。それはやはり、どこでも常に、一定の効率で作業できる環境が担保できる、ということに尽きます。

MacBook Airの難点は、ある一定以上の負荷がかかると速度が落ちくることです。同時に立ち上げるアプリの数や動画など、負荷をかける要素に気をつけて使えばいいのですが、それなりに作業が乗ってくるとあまり操作系のところに気が回らなくなるのが実際のところで、気がつけばファンがブン廻っていて若干動作がカクカクしだす、ということがよくありました。作業にノッテいるときにこういうブレーキがかかるのが少々勿体ないと思うときもしばしばで、できればそのようなノイズが入らない環境を手に入れたい、と思うことがこのところ増えてきて、いつのまにかProの15インチをモバイルして、という状態になっていた、とは以前述べました。

そこへ、アップルマークが出現してからのあの丸印がたった半回転(!)するだけで起動完了するJackさんのCore i5 Pro 17インチの動画を見てしまい、かつて妥協の末15インチを選択した後悔が再び思い出され、何日か後には心斎橋のストアにいる私がいたわけです。

もちろん高い買い物なのですが、大満足です。なんで去年17インチにしなかったのかが不思議。

やはり、机の上でも省スペースですし、いざとなれば持ち出せるというのは大きい。ホントの本気で外で仕事をしたいときは、デスクトップに匹敵する環境を持ち出せるんですから。おまけにバッテリの持ちも8時間から9時間と非常に長い。メモリは4Gですが、かなりのアプリケーションを同時に立ち上げて作業したところで全く問題がない。おまけにこの画面の広さ。

いくつウィンドウを開けるんだ、という感じです。作業効率が格段によくなる。

それになにより、やはりユニボディのデザインがすばらしい。考えてみれば、2008年初旬にMacBook Airを買ってから、MacBook Pro 15″、17″、13″と、結局ユニボディのMacBookをすべて制覇したことになります。ジョニー、サンキュー。

で、17インチと13インチ共にカスタマイズしたのはUSキーボードのみでSSDにはしていません。スリープモードで使用するケースが多いので、SSDを試してみたいのはやまやまですが、さすがにこのところの散財でもう体力がありません。SSD換装は来年度以降の楽しみにとりあえずとっておいて、しばらくは素の状態を楽しもうと思っております。

13インチもリポートしたいのですが、それはまた別の機会に。

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