1968年 の iPad
05/09/2010 4件のコメント
自然界に存在する主に生物から着想を得る「バイオニクス」はよく知られるところですが、あるテクノロジーがSFの未来的ビジョンに突き動かされて生み出される、ということもめずらしくはないことです。Technovelgy というサイトでは小説から着想を得て実現された(またはされそうな)テクノロジーの例を(拡大解釈かなと思う例もちらほらありますが)ずらーっと、今日の時点で1870個以上紹介しています。
先日、『2001年宇宙の旅』についてiPadと「モノリス」との関連で触れましたが、この映画版にはまさにiPadに非常によく似たデバイスが登場します。
まずは映画のポスターから。
なにやらタブレットデバイスらしきものを覗き込んで作業をしていらっしゃいます。でもすこしわかりにくいので映画の本編から。
こことかここなど、iPad発表直後にすでにこの点を指摘している方がいらっしゃいますが、ベゼルが細いのと下部に複数のボタンらしきものがあるのはiPadと違いますけど、似ていると言っていいでしょう。というか、かつてのHAL 9000のCMもそうですし “iPod” っていう名前もそうですし、アップルは 2001: A Space Odyssey がデフォルト?と思える節がありますね(笑)。何せ新参アップル信者(そろそろやめろって)なのでまだまだ新しい気づきがいっぱいあります。
「芸術家は未来の歴史を詳細に書くことに常に関わっている、なぜなら芸術家だけが現在というものの性質に気づいているからだ」
以前「クレイジーな人たち」のことをブログで取り上げたとき、マーシャル・マクルーハンの「挑戦と崩壊—創造性のネメシス」というエッセイについて少し書いたのですが、このエッセイでマクルーハンは上のウィンダム・ルイスの言葉を引用し、人類が生きのびるためには、新しいテクノロジーの意地の悪い一撃をかわし、完全に自覚した上でそうした暴力から回避することができる芸術家の能力が必要である、と主張しています。
考えてみれば、映画の原作者であるアーサー・C・クラークは、「アポロ計画が推進できたのはあなたのおかげだ」と国からお礼を言われているくらいの人ですし。ある芸術家の未来的ビジョンがテクノロジー発展の駆動力になるということは、普遍的なことなのかもしれません。ただこの場合、偉大な芸術家が描いた未来の歴史に従って「テクノロジー」が作られている、ということになるわけです。で、そのテクノロジーは「意地が悪い」(笑)のか、と。
私的には、特定の「意識」を以てモノを使う、ということは大事だと思うんです。ほら、丹田呼吸法ってありますよね。単に呼吸するのではなく、丹田に意識を集中して、イメージしながら呼吸するあの方法。
マクルーハン→クラーク→ジョブズというラインを意識しながらiPadを使うとき、iPadは決して「意地の悪い」テクノロジーにはならない。どんなに言われようと、一定の方向性が読み取れる潜在性を与えるというのは、作り手としての「責任」で、ジョブズはそれを自覚し全うしている。と、私は考えています。

何この美しさ、ボーマンの使ってるパッドもそうですがテーブルのフォルムの綺麗な事、2001年は全てが綺麗ですよね。32年後のAppleの製品も、ジョナサンの原体験なのかもしれませんね。
そういや2001年か2010年にもAppleの製品出てましたよね、Apple//だったかポータブルだったか。久しぶりに見直してみようかな。
「2001年」ほどの透徹した映像美を現前させられる人って他にいるのでしょうか。ほとんど「狂気」に近い、そんな印象を持ちます。なるほど、やっぱりジョニーの発言を一度総ざらいして、アップルのデザインの秘密に迫る必要がありそうですね。時間があるときにリサーチしてみます(笑)。
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