MacBook Air 13.3インチは、名機です。

11.6インチのMacBook Airが出るという噂が再燃しています。いよいよ、でしょうか。

私的な希望としては、サイズダウンしたとしても、キーボードはフルサイズ、ディスプレイもベゼルを狭くして、なるべく大きく保って欲しい。もしそうであれば、また近々購入するガジェットのリストに入れてしまうかもしれません。

私は「パソコン」と呼べるものをPower Mac 7600/200を購入することで初めて体験し、4年間使用したものの、現実との妥協においてWindows機を使い始め、中古のColorClassic IIを買い、クラムシェルiBook、iBook G3を並行して使用していたものの、ついにアップル機の空白期間が1年と少しできてしまったのが2007年からの1年と少しの期間でした。

もともと文系人間の私、パソコンは文書編集とウェブブラウジング程度にしか使いませんでした。カッコよくて機能が優れたマシンは、そりゃあ欲しいことは欲しかったですが、とりあえず買ったのはThinkPad X40。その後富士通LOOX UやPなどのモバイルを渡り歩いていたのですが、腑に落ちない。

なぜか。

本ブログでも何度か書きましたが、ディスプレイの大きさ、キーボードの大きさ、重量、と、トータルなバランスで満足させてくれるマシンがなかったんです。

そんな折、私の目の前に登場したのがMacBook Airでした。1.3キロ、フルキーボード、13.3インチの大画面、堅牢な筐体。どれをとっても非の打ち所がない。問題は価格でしたが、発売から3ヶ月ほど経ってから値段が多少落ち着いてきたのを見計らって買いました。

実物が家に届き、開封したときの驚きと興奮は、今でも忘れません。

たぶん一生忘れません。というのも、これからの私の人生、好きなガジェットをいろいろと買ったとしても、このときの喜びと興奮を上回るような製品に出会うことは、おそらくもう無いであろう、と思うからです。

これはもちろん私見です。ただ、初代のMacBook Airは、私にとってみれば、それほど重要なマシンでした。言わば、人生を変えられたマシン。

MacBook Pro 13インチと17インチをメインで使っている現在の私にとっては、その存在意義は以前に比べて確かに薄れてはいるのですが、私の「人生」におけるMacBook Airの意味はとてつもなく大きいものです。

新しい、小型で高機能なAirがもし出るならば、初代の存在感は薄れるに違いない。でも、アップルの軽量ノートカテゴリの製品がどのような変遷をこれから経ていくにせよ、私にとって初代MacBook Airは至高の存在です。

MacBook Airに対する批判は、いろいろ見受けられます。でも、そうした批判の全ては、MacBook Airというマシンが持つ本質について全く理解していない人たちからのものです。というか、モバイル機を愛している人で、MacBook Airを所有したことのある人なら、MacBook Airは愛すべき存在になるはずです。と、思ってしまうぐらい、すごいマシンだった。

新しいMacBook Airがまもなく発売されるかもしれない、という噂が、MacBook Airに対する、くすぶっていた私の愛情を再燃させてしまったようです。

一部のファンのたわごとと思われるなかれ。世の中に私のような思いを持つ人は、相当数おられると思います。これもアップルだからなせるわざ、なのかもしれません。

MacBook Proな日々の幸せ

ぶくぶくぶく

・・・プハーッ!

大変ごぶさたしております。深く沈潜いたしておりました。というかまだ沈潜する予感。

深く沈潜していたこの1カ月、ふたつの感覚が私を支配しておりました。

ひとつは、ブログが書けない、という罪悪感。猛暑も手伝ってしまったのか、仕事以外のことに頭が回らない、というのはあまり予想していないことでした。これからの人生においても、そういう時期はちょいちょいあるのかもしれないな、などと、多方面についてペース配分を考える必要性をいたく感じました。

もうひとつ、この1カ月間というもの私は、寝る、風呂に入る、車で移動する、子どもの世話をする、人と会う、以外のほとんど全ての時間をMacBook Proと共に過ごしておりました。

私のMacBook Proは13インチと17インチのふたつです。

気分や必要性によって使い分けているのですが、13インチが6割、17インチが4割といった使用頻度です。

1カ月を費やしたところでまだ全然終わらない仕事に現在もまだ直面しているのですが、この1カ月、猛烈な焦燥感を抱く私を支えてくれていたのは、もちろん家族や友人、その他お世話になっている方々であることは言うに及ばないのですが、何を隠そうMacBook Proの2台がなければ、私はこの苦境を耐えきれていなかったかもしれない、とすら感じます。この2台のマシンが果たしてくれた役割はとてつもなく大きい。

本ブログは、アップルについての情報を少しでも提供できる場所になれかし、という思いで続けているものです。実際のところ、私自身が今、Mac(私の場合今のところはMacBook Proですが)に支えられている事実をとてつもなく実感していて、 Macのそういう凄さが生み出されるもとになるはずの情報をまた一日でもはやくお伝えできるように、頑張らんとなー、と思ったりしています。

しつこいですが、精神的焦燥と肉体的消耗を抱えた私が、場合によっては一日に十五時間以上も文字を打ち続ける作業ができるのは、ひとえにMacBook Proというマシンがあるからだ、と確信しています。

これを「幸せ」と呼ばず、何を幸せと呼べるのか、と。

そう、もうひとつの感覚とは、Macとともに時を過ごすことの幸せそのものなのです。

また、なるべく早く、余裕ができたら(できなくても)、いろいろとアップルな情報をお伝えできれば、と切に願っておる次第です。

それではまた、近いうちにお目にかかれることを願いながら。ぶくぶくぶく・・・

娘にもてあそばれるMacBook Pro 13インチ

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