スカリー、ジョブズについて語る(3)

さて、Cult of Macによるジョン・スカリーへのインタビュー、最終回です。

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Q:アップルも、同様のライフスタイル広告で有名ですよね。アップル製品のおかげで人が羨むようなライフスタイルを送ることができる。iPodで音楽を楽しむおしゃれな若者たちが・・・

スカリー:アップルの広告については私は何ら関わりがないんだ。スティーブの素晴らしいところは、物事を見て、理解し、そのあと彼のデザイン・メソッドの文脈に沿った形でそれを応用する方法を考え出すことだ。全てはデザインなんだ。

ある逸話がある。私の友人がアップルとマイクロソフトの会議に、たまたま同じ日に出席した。去年のことだ。彼はアップルの会議に(アップル出入のベンダーとして)出た。彼が部屋に入るとすぐにアップルのデザイナーたちが入ってきた。すると皆、話をやめたというんだ。理由は、アップルではデザイナーが一番尊敬されているから。彼らがスティーブに直接レポートをしていて、彼の意見を代弁していることを誰もが知っている。CEOに直接デザインのレポートをしているのはアップルだけだ。

同じ日、アップルの後に彼はマイクロソフトの会議に出た。みんな話をしていて、会議が始まった。会議にはデザイナーは出席していなかった。技術スタッフだけがいた。そして彼らがデザインについて話をしていたんだ。これが失敗のためのレシピさ。

マイクロソフトは世界でも最もスマートな人材を雇っている。信じられないほど過酷なテストを通過したものだけが働くことができる職場だ。つまりこのことについては、スマートであったり才能があったりする人々がいるということが問題ではない、ということだ。アップルでは会社の最上位にデザインが位置している、ということであり、それはスティーブ個人によって先導されているポリシーなんだ。他社においては、デザインはそのような場所にはない。官僚的な構造のどこかに、デザインは埋もれてしまっている。そういった場所では、イエスをいう権利ではなく、ノーを言える権利を多くの人間が持っている。つまり、妥協の産物が出来上がる、というわけだ。ここで、何をするかではなく、何をしないかを決めることが最も重要であるというスティーブのミニマリストフィロソフィーに立ち返ることになる。

初期のアップルに立ち会った私だが、そのころスティーブが掲げていた原則は、今も何ら変わっていない。変わったとすれば、それにより磨きがかかったことぐらいだ。

他にも彼の優秀さを示す例はある。リテールストアだ。

彼は重役会に、世界でも有数のリテーラーを連れてきた(GAPのミッキー・ドレクスラー。彼が試験的なストアをまず作ることをジョブズに提言した)。彼はそのときに小売に関することを学んだというだけではなく、私が他のどの店よりも優れていると思うようなストアを作ってしまった。1平方フィートあたり世界最高の売上を記録しているというだけでなく、最高の経験も提供している。

ストアはいつも人でいっぱいだ。ソニーセンターにも、サンフランシスコではモスコーニュにあるが、行ってみればいい。だれもいないよ。ニューヨークの57番通りにはノキアのストアもあるが、そこにも誰もいない。

他社のストアに行って、製品を見て触れて感じることはできる。しかしアップルのストアでの体験は驚くべきものだ。店に来た人はすべて、そう感じているだろう。

ネクタイの話に戻ろう。アップルのストアに居ること自体が「こんなふうに君に僕のことをみてもらいたいな。僕はここにいるよ。ジーニアス・バーにだ。製品も吟味してる。ほら、店にいる他の人たちと同じように、素晴らしい経験をしているんだ」というメッセージになる。

ユーザーエクスペリエンスは、製品を使うことはもちろん、広告でどのようにそれを見せるか、そしてなにより製品のデザインにも関わることだ。スティーブの、製品の仕上がりについての彼のこだわりは有名だ。半径、分割線、ベゼル、その他全ての細部にデザイナーは気を使う。

スティーブは誰も問題とは思わないことに注文をつける。しかしそれは彼の要求水準があまりに高いからだ。「アップルはどうやってこれを作ったんだ?こんなにすごいものを」と人々が思ってしまう理由はここにある。

あるとき話をしていると彼は「ペプシはどうやってあんなに素晴らしい広告を作ったんだ?」と聞いてきた。彼は、代理店がよかったのか、と聞いてきた。私は彼に本当のところを言った。まず第一に、素晴らしい製品が存在すること。そうすれば、大胆な宣伝の素材として示す事ができるチャンスがある、と。

素晴らしい広告は、素晴らしいクライアントがあってこそだ。優秀なクリエーターは優秀なクライアントと仕事をしたいものだ。すばらしい作品を評価しない、新しいことに挑戦する気概がない、新しい創造性にわくわくしない。こういったクライアントは、だめなクライアントだ。

多くの大企業は、これをほとんど手放しで誰かに任せている。プレゼンの時以外は、大抵のCEOはどういう広告が作られようとしているか、知らないものだ。知るのは、できてしまったあとだ。ペプシではそのような方法はとらなかったし、アップルもそうではない、今でもスティーブはそうしているはずだ。かれは頑固なくらいに広告やデザイン、その他多くのことに関わっている。

Q:そうですね。リー・クロウがジョブズに毎週会いに行っていると聞いています。

スカリー:アップルがデザインでリードしていることがわかれば、まさにそのデザインがアップルと他を区別しているものであることが理解できるんだ。アップルストアに行くと、あの階段がある。あれは加工が施された特殊ガラスだ。あれが彼の考え方の典型を示している。彼の周りにいるものは、彼が普通ではないビートを刻むドラマーだと知っている。他のCEOとは全く異なる基準を設けるんだ。

彼はミニマリストであり、常にモノを最も単純なところまでそぎ落とす作業をする。それ自体は安易な作業じゃない。簡略化だ。スティーブはシステムをデザインする。複雑なものをシンプルにする。

そんなことに興味がない者なら、そんなことをすれば安易な結論しか導けない、と考えてしまうだろう。多くの会社はこの点で間違いを犯している。マイクロソフトのZuneを考えてみればいい。Zuneが発表されたときのCESに私は行ったが、あまりにつまらなすぎて、だれもそれを見にいこうとさえしなかった。すでにZuneは死んでいたんだ。成長しすぎた野菜をスーパーに並べるようなものだった。近づきたいとさえ思わない。素晴らしい人々が作ったはずなのに、フィロソフィーが違うというだけで、そういう結果になる。マイクロソフトは「3度目の正直」の会社だとはよく言われることで、確かにそういう側面はある。まず最初に出してみて、修正し、そしてさらに出す。スティーブはそれはやらない。完璧になるまで決して世には出さないんだ。

Q:広告の話をしましょう。アップルにとっては重要なことです。ご自身の著書で、「戦略的広告」について述べられています。これはどういう・・・

スカリー:私がシリコンバレーに来た時代、そこに広告と言えるものはなかった。広告に興味を持っていたのはアップルだけだった。HPは当時は広告をしていなかった。ブランド力に基づく広告を打とうとしている会社はなかったんだ。私がアップルに呼ばれた理由は、アップルが大規模なブランド広告を打つことを可能にするためだった。

アップルのロゴがいくつかの色で構成されていたのは、アップルIIが最初のカラーコンピュータだったからだ。他にはなかった。色付きのロゴになった理由はそれだ。雑誌やパッケージに印刷する場合、それを4色でプリントすることもできた。しかしそこはスティーブがスティーブたる所以、彼は6色刷りにこだわった。すべてに3割から4割増のコストがかかった。しかしそれがスティーブが望んだことだ。そういう方法でいつもやってきた。彼は最初から完璧主義者だったんだ。

Q:彼のそういうところに狂わされてしまう人もいます。あなたはどうでしたか?

スカリー:少しぐらい狂わされてもいいと思ってしまうほどに、正しいことを常にしていると思ってしまう人間もいるものなんだ。ハイテク業界で私が学んだのは、ほんのわずかな差で成功するか失敗するかが決まってしまう、ということだ。常にリスクを負わなければならない。常にのるかそるかの戦いを挑んでいるアップルのような会社は特にだ。

時には、いくつかのポイントで戦略的に誤ることもある。スティーブはマッキントッシュにハードドライブを載せなかった。通信の機能について尋ねられたとき、彼は小さなディスクを放り投げて「僕たちが必要としているのはそれだけだ」と言った。でも一方で、彼はAppleTalkやAppleLinkの開発もしていた。AppleTalkはマッキントッシュをレーザープリンターにつないでDTPを可能にする通信機能だった。

AppleTalkは当時としてはすばらしいものだった。マッキントッシュそのものと同じぐらいね。これも、解決する必要がある問題だと誰も思っていないような問題を解決する、スティーブのミニマリスト手法の典型だ。15年から20年経ってようやく誰もが解決すべき問題だったと気づく問題についてのソリューションを、スティーブはすでに80年代に示していたんだ。困難だったのは、今でこそテクノロジーはいろいろなマス市場向けの製品を作れるほどに均質化されて体力もあるが、当時はまったく事情が違ったことだ。多くの点で、彼は時代を先取りしすぎていたんだ。

思えば、私がCEOとして雇われたことが大きな間違いだった。彼が最も欲しかったのは私ではなかったんだ。彼がCEOとして欲しかったのは、彼自身なんだ。でも25、6歳の若者をCEOに据えられるような重役会は、なかった。

一方で彼らはハイテク業界としてふさわしいCEOというアイデアには辟易していた。最終的には、株主だったデヴィッド・ロックフェラーが違う業界を試そうと言い、ハイテクとは違う業界のヘッドハンター、ジェリー・ローチの元へ向かった。

そして彼らは私を見つけてきた。私はコンピュータのことは何も知らずに飛び込んだ。スティーブと私がパートナーを組む、というアイデアが基本だった。彼が技術を、私がマーケティングをそれぞれ担当、といったようにね。

私がCEOになったのは「間違いだった」と私は言った。理由は、本当はスティーブがCEOになりたかったから。重役会は、「彼がCEOになれる方法を探ろう。それに加えて他の人間もさがそう」と言ったほうが正しい選択ができたかもしれない。

確認したいのは、彼は取締役会長であり、最大株主であり、マッキントッシュ部門のリーダーだった、ということだ。つまり彼は私の上司でもあり部下でもあったわけだ。浅はかな考えかもしれないが、スティーブが認めるCEOを会社に呼んでくる方法だけではなく、長い時間をかけて成功に到達するような状況を作り出すことを確実にするような方法をもう少し深く取締役会が考えていれば、われわれは別れずに済んだのではないか、と思う時がある。

おそらく、スティーブがアップルを出て行ったとき(1986年、スカリーをCEOから外すというスティーブの申し出を取締役会が却下したとき)ですら、私はコンピュータのことをよくわかっていなかった。

私はまず会社を立て直すことにした。しかし、どうやればいいか、どうすればもう一度成功に導けるか、わかっていなかった。

私たちがやってききたことは、すべてスティーブのアイデアに基づくものだった。私は彼のメソッドは理解していた。それは変えなかった。だから製品のランセンスは出さなかった。産業デザインに徹した。今では当然のことだが、社内のデザイン組織も実際に作った。PowerBookを開発した。QuickTimeもだ。これらはみなスティーブの哲学の賜だ。全ては売上とマーケティングと製品の進化のためだった。

すべてのデザインのアイデアはスティーブの哲学に基づいていた。私がアップルにいた頃の業績の手柄は、スティーブに譲られるべきものだ。

私は2度の、悔やみきれないバカな間違いを犯した。本来のアップルならしないようなことだ。ひとつは、モトローラ製のプロセッサを使っていた最後期のこと。ふたつの最良のテクノロジーを見つけ、あるチームにそれらを調べさせ、どうすべきかを提言させようとした。

調査のあと、彼らは言った。RISCアーキテクチャならどれをとっても大差ない、ビジネスに向いているものを選んで採用すればいい、しかしCISCはだめだ、命令セットが複雑すぎる、その点RISCはよりシンプルだ、と。

Intelはわれわれに強力に働きかけてきていた。しかしわれわれはPowerPCを採用しIBMとモトローラをパートナーに選んだ。あとから考えるとひどい決断だった。Intelと仕事をしていれば、より便利なプラットフォームを作ることができたはずだった。90年代の業績が大きく違っていたかもしれない。このころにはプロセッサはより強力になり、やりたいことはほとんどソフトウェアでできるようになっていった。そしてマイクロソフトがWindows 3.1でそれを実現していった。

それ以前はソフトとハードの連携が必要だった。アップルがやっていたように。プロセッサが強力になるにつれ、ハードがひとつの商品になり、それまではハード的にこなしていたサブルーチン作業がソフトウェアで処理できるようになった。

乗る船を誤った。Intelは110億ドルを費やしてグラフィクスチップを開発しようとしていた。私の決断は、完全に誤っていた。私は判断のための技術的知識に乏しかった。だから、提言をそのまま受け入れた。

もうひとつの、私にとってのさらに大きなミスは、私がスティーブを呼び戻しに行くことを思いついていたらどうだったか、ということだ。

10年経ち、私はアップルを辞めたかった。もう、そこに居たくないと思っていた。東海岸に戻りたかった。私はアップルを辞めたいこと、IBMが私をほしがっていたことを役員会で言った。役員会は慰留した。私はとどまり、そして後に私は解雇された。本当に、もう出て行きたかったんだ。

役員会はアップルを売りに出すことに決めた。1993年だ。私はAT&T、IBM、ほかにも買い手をあたった。どこも欲しがらなかった。マイクロソフトとIntelの勢いがすごすぎて、誰もリスクを取ろうとはしなかった。でも、このとき私に分別があれば、こう思ったはずだ「アップルを創った、全てを理解している彼のところに行くのはどうだ。スティーブが戻ってきて、彼が会社を動かす、というのはどうだ」とね。

ふりかえれば、そうすべきだったということは明らかにわかる。ただ、そうはしなかった。だから私は自分を責めている。それによっても、死に瀕したアップルは救えたはずだ、と。

私が解雇されたことについては、社の運営方針について社内で意見が分かれていたことが理由のひとつだ。アップルをビジネス向きのコンピュータ会社にしたいグループがあった。彼らはアーキテクチャを作り、ライセンス化したがった。私がいたのは、アップルメソッドを継承するグループだ。ユーザーエクスペリエンスなどの点でね。そしてNewtonなどの次世代製品に打って出た。

しかしNewtonは失敗した。まったく新しい方向性。根本的に異なるもの。結果、私は解雇され、その後ふたりのCEOがライセンス化の方向で進めた。しかし、デザインについては無視した。彼らが作ったのはどこにでもあるコンピュータとおなじもので、広告にも広報活動にも関心がなかった。全てを忘れようとしていたんだ。エンジニアタイプの会社に変化し、その間にも、会社は破産への道を進んでいた。

あのタイミングでスティーブが帰ってきていなかったならば、あと半年遅ければ、アップルは過去のものになっていたことは間違いない。いまは影も形もなかったはずだ。

スティーブの様子はどうだったか。彼は元いたところに、戻るべくして戻ってきた。まるで、出ていったことが嘘だったかのように。昔からそこにいたように。

つまり、私がいた頃は、私は彼の哲学に従って仕事をした。彼のデザインメソッドに基づいて。

残念ながら、私は彼ほど上手にできなかった。タイミングというのは大事だ。コンシューマ向けコンピュータを作ることができない時代だった。アップル時代にはあったような幸運をNeXT時代に得ることはスティーブにも出来なかった。ただ、このとき彼はあることに成功していた。彼は次世代OSを開発していた。これが最終的にはアップルのOSに統合されることになる。

Q:あなたが長年関わったNewtonを、あなたへの復讐のためにスティーブが葬ったという人がいます。彼はあなたに復讐したのだと思いますか?

スカリー:たぶんね。以来、私は彼とは話をしていないからわからないけど。

Newtonのアイデアそのものは素晴らしいものだったと思う。ただ時代を先取りしすぎていた。実際は、Newtonはアップルを破産の危機から救っていた。Newtonのために新世代のプロセッサを開発しなければならなかったことをほとんどの人は理解しなかった。オリヴェッティや、ケンブリッジ大学を離れてイギリスでエイコーンコンピュータを立ち上げていたハーマン・ハウザーらと話を進めた。ハーマンがARMプロセッサをデザインしたんだ。そしてアップルとオリヴェッティが出資した。アップルとオリヴェッティが47%の株を、ハーマンが残りを持った。Newtonなど、多くのグラフィック処理やその他の集中的作業をするための小型デバイスのためのプロセッサだ。アップルが経営の危機にあったとき、ARMの株を8億ドルで売った。手放さなければ80億から100億ドルの会社になっていた。今ではもっと価値がある。ただ、そのことでアップルは生き延びるための現金を手に入れた。

ニュートンは製品としては失敗し、1億ドルの赤字を出したが、ARMは十分にその分を埋め合わせていたんだ。それはあらゆる製品で今日見られるものだ。iPodやiPhoneといったアップル製品にもね。その分野でのインテルのようなものだ。

アップルは実際のところテクノロジーの会社というよりはデザインの会社だ。iPodを見てみれば、買収して得た技術を組み合わせて作られていることがよくわかる。マッキントッシュを作った時でさえ、アップルはゼロックスから人を呼び、アイデアの多くをゼロックスから持ってきたんだ。

アップルが打ち出したものは、最初は受け入れられ難い。最先端すぎるんだ。Macの前のLisaは失敗した。PowerBookの前のMacのラップトップもそうだ。失敗する製品も珍しくない。Newtonで犯した過ちは、広告に熱を入れすぎたことだった。期待を大きくしすぎた。失敗を大々的に演出してしまったようなものだ。

Q:ジョブズ氏にとってのヒーローについて伺いたいのですが。エドウィン・ランドが彼のヒーローだとあなたはおっしゃってますね。

スカリー:ああ。スティーブと私がランド博士に会った時のことだ。

彼はポラロイドを追い出され、ケンブリッジのチャールズリバーに彼の研究所を持っていた。ある午後のことだ。大きなカンファレンスルームに何も置かれていないテーブルがあった。ランド博士とスティーブはテーブルの中央を見つめ、話をしていた。博士は言った。「私にはポラロイドカメラがどうあるべきかが見える。私が実際にそれを作って、私の目の前に置かれているかのように、私にはその姿がありありと見える」とね。

そしてスティーブが「ええ、同じように私にはマッキントッシュが見えるんです」と言った。彼は、小型計算機しか使ったことがない誰かにマッキントッシュがどんなものであるべきかを尋ねても答えられない、と言った。ないものについての消費者調査というものはできない。ならば、その形を作ってみて、それを人々に示し、そしてそれについてどう思うかを聞くしかない。

スティーブも博士も製品がまだ存在しないのに、すでにそれを理解する能力をもっていた。彼らはそれはいつもそこに存在する、と言った。だれも見たことがないだけだ、と言うんだ。それを理解しているのはわれわれだけ。ポラロイドもマッキントッシュも、常にそこにあった。あとは実現するだけ。スティーブはランド博士を尊敬していた。非常に興味深い旅だった。

Q:他にヒーローはいたんですか?

スカリー:ロス・ペローはそれに近かったかもしれない。彼は何度かアップルにやってきて、マッキントッシュの工場も見ていった。ロスはシステムを考える人間だった。彼はEDSを考案し、アントレプレナーでもあった。ジョブズもそうだったが、ロスも世界を変えるというような壮大なアイデアが好きだった。

盛田昭夫も彼のヒーローのひとりだった。ソニーという素晴らしい製品を開発した会社をつくったアントレプレナーだ。スティーブも製品をつくる人間だった。

Q:HPは? ジョブズ氏はかつて、スティーブ・ウォズニアックとそこにいた短期間のうちに、大きな影響を受けた、と言っていましたが。

スカリー:それは聞いたことがないし、HPはアップルのモデルではないと思う。HPは「HP way」という手法を持っていた。ビル・ヒューイットとデヴィッド・パッカードは、夜の間、皆の仕事を机の上に置かせておいて、夜の間にそれを見て回れるようにした。とてもオープンなエンジニアのための会社だ。アップルはデザイナーの会社だ。HPは当時は素晴らしいデザインの会社ではなかった。技術では素晴らしかったが、デザインはちがった。HPがアップルのモデルだったとは私には思えない。

Q:ジョブズも社内を歩いて回っていたのですか?

スカリー:そうだね。シリコンバレーではどこでもやっているよ。シリコンバレーのビジネスの方法論にHPが影響を与えていたのはそれだ。シリコンバレーの新進企業にはいくつか特徴があったが、この方法はそのひとつだ。HPがもとになっている。

HPは机間巡視マネジメントの父だ。エンジニア会社のなかでも、HPはヒエラルキーの頂点に位置していた。

アップルでは、管理者より技術者のほうがはるかに重要だ。そしてデザイナーは階層のトップにいる。ソフトウェアをみても、ビル・アトキンソン、アンディ・ハーツフェルド、スティーブ・キャップスらはソフトウェアエンジニアとは呼ばれずにソフトウェアデザイナーと呼ばれた。なぜなら彼らはソフトウェアをデザインしていたからだ。プログラムがどう動くかだけでは十分ではない。美しくなければならない。デザイナーはソフトウェアにおいてもハードウェアにおいても、美の天才だと尊敬された。

Q:スティーブ・ジョブズはデザイン科の学生だったことはよく知られています。駐車場に停められたメルセデスをすべて熱心に見て回ったそうですが。

スカリー:スティーブはどのように文書が印刷されているかを熱心に見ていたよ。フォント、色、レイアウトのすべてをね。スティーブが社を去った後、私たちは日本でビジネスをすることにした。当時は400万ドルが日本で回っていた。そして日本の公正取引委員会に訴えられていた。日本でのビジネスは止めるべきだと人々は言った。私は日本に出向いた。詳しくは話さないが、4年後には国内で20億ドル規模のビジネスになり、日本で2番目にコンピュータを売る会社になった。

最も気を使ったのは、日本人が欲しいと思うような製品を作る方法を知ることだった。当時はシンガポールで組み立てて、それを日本に送っていた。箱を開けたときに最初に見るのはマニュアルだが、それが反対を向いていたとする。すると全て突き返される。アメリカではそういう経験をしたことはなかった。マニュアルの向きが違っていたからと言って、製品自体が変わるわけではないのに。

そう。日本は、違った。われわれの価値観と彼らのそれは違った。アップルは細部に注意を払う。「open me first」、箱のデザイン、折り目、紙の質、印刷。それらに全て注意を払う。ブルガリや高級宝石会社の品物を買ってくるような感じ。当時の日本は、そういう経験を望んでいたんだ。

イタリアンのデザイン会社を探してデザイナーに学ぼうとした。そしてフロッグのハルトムット・エスリンガーを呼び、「スノーホワイト」デザインを導入した。イタリアの車のデザインも見た。嵌合や仕上げ、素材、色、すべてを仔細に。シリコンバレーでは誰もやっていないことだった。80年代当時は全く違う領域のものだったから。これも、私のアイデアではない。私自身にデザインへの興味と経験があったから語ることはできるが、これらの動機づけはすべてスティーブによるものだ。

スティーブはアップルを離れ、私はアップルを引き受け、非難された。彼らは言った。「コンピュータの会社にコンピュータのことを全く知らない男をよく連れてこれたものだ」とね。アップルが実はコンピュータだけの会社ではない、ということを、誰も知らなかった。デザインされた製品をデザインされたマーケティングで売る。会社の位置づけが違ったんだ。

「垂直統合された広告代理店」と人は呼んだ。当時は貶めるためのものだった。そういう会社を、エンジニアの会社は、そういうふうに呼ぶことで満足していたんだ。そしたらどうだ。今はみんながそうだ。アップルがモデルだ。サプライチェーンがあらゆる場所を管理しているだろう?

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以上が掲載されたインタビューの全文訳です。

アップルの歴史を勉強中の私にとっては面白い記事でした。

いろいろな意味でスカリーという人の「人間くささ」がうかがえるインタビューだったのではないかな、という印象を持ちました。

極論も多いなとかいろいろと感慨はありますが、多くは語りますまい。

解釈が変な部分、ご指摘お待ちしております。

スカリー、ジョブズについて語る(2)

というわけで、Cult of Macによるスカリーへのインタビュー、続きです。

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Q:ナイキに例えるのはどうですか?

スカリー:ああ、そうだね。近いかもしれない。あの時代の日本の消費者家電メーカーは似たような仕組みを持っていた。

スティーブが賞賛していたのはソニーだ。スティーブと私はよく盛田昭夫氏を訪ねたものだ。彼はスティーブと同じように製品づくりに対する要求水準が高く、そして美しい製品をリスペクトする人だった。彼はスティーブと私にウォークマンの初代機をくれたんだ。見たこともないものだった。なぜって、それまでそんな製品がなかったからだ。25年前のことだ。スティーブは魅了されていたよ。彼がまずやったのは、それを分解してひとつひとつの部品を調べ、嵌合がどうなっているか、仕上げはどうか、そしてどう組み立てられているかを調べることだった。

スティーブはソニーの工場にも魅了されていた。私たちは中を見て回った。人々は違う色の制服を着ていた。赤、緑、青など、担当によって着る制服が違っていた。全てが考え抜かれていて、塵一つ落ちていなかった。こうしたことが彼に強烈な印象を与えたんだ。

マックの工場が、まさにこういうものだった。色違いの制服はなかったが、私たちが見た初期のソニーの工場と同じように、あらゆる面ですばらしい工場だったんだ。彼は、心底ソニーになりたい、と思っていたんだ。IBMじゃなく。マイクロソフトでもない。彼の目標はソニーだったんだ。

問題はあの時代、デジタル製品をソニーが作っていたような方法で作ることができなかった、ということだ。全てはアナログ。物に対してアプローチする方法が重要で、ミシガン大学のプラハラード教授の本を読んで参考にした。(注:『コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略』のこと)スティーブもこれを研究した。

日本人は部品の市場シェアから手をつけ始めた。ある会社はセンサを、別の会社はメモリを、ハードドライブを、と言う具合に。そしてそうした部品市場としての強さを底上げし、最終的な製品づくりにとりかかる。コスト削減に的を絞ってアナログ製品を作ろうとするときにはこれは有効だ。そして、主要な部品をコントロールする会社は優位に立てる。しかしデジタル製品にはこれは通用しない。なぜなら、同じ方法でやると誤った価値連鎖を引き起こしてしまうからだ。部品からスタートするのでもなく、ユーザーエクスペリエンスからスタートするのでもなくなってしまう。

コンシューマ向けエレクトロニクス産業の出現とともに、少なくともここ15年にわたりソニーが深刻な問題を抱えるのを私たちは見てきた。組織が縦割りになってしまった。ソフトウェア、ハードウェア、部品、デザイン、どのチームもお互いに隔絶された環境にあった。それぞれが組織として折衝したが、それぞれが大きい組織で、官僚的な仕事になってしまった。

ソニーが今のiPodのような製品を出してもいいはずだったが、そうはならなかった。それをしたのはアップルだった。iPodは、ユーザーの目線で発想し、システムを隅から隅まで見渡すところから始めるスティーブ・メソッドによる産物の典型なんだ。

スティーブは常にシステム全体を見渡せるところにいた。実際のデザイナーではなかったが、いいシステムづくりに長けていた人物だった。これは他の会社にはあまりみかけない要素だ。たいていは、得意分野に集中し、その他は外注するものだ。

中国までにも及ぶiPodのサプライチェーンは、iPodという製品そのものと同じぐらい洗練されたものだ。ユーザーのための製品デザインと同様に洗練されたサプライチェーンのデザインを完璧に構築するという難題を彼らは解決しているんだ。全く違うところから発想しないといけないことであるにもかかわらず、だ。

Q:製品を開発するアイデアを、そして、システム全体を統括するためのアイデアを、彼はどこで手に入れていたのでしょう。

スカリー:システムをオープンにすれば、人々はあまり変化を欲しなくなり、結果、作ろうとしているものへの妥協が生まれ、彼が欲しいと思っている製品が作れなくなる、というのがジョブズの信じるところだったんだ。

Q:しかし彼は製品の細部にまで口を出します。箱を開ける、といったことにまで。箱を開ける、という経験もスティーブ・ジョブズによって用意されたものです。

スカリー:最初のMacにはOSは含まれていなかった。みんな言うよ。「なぜライセンスを出さななかったんだ」ってね。答えは簡単だ。OSが無かったんだ。すべてがハードとソフトの機能だけで処理されたわけだ。当時のマイクロプロセッサは今の物に比べると格段に劣るものだった。グラフィクスを処理しようとするとプロセッサのパワーを使いきらないといけなかった。他の機能をアンロードしようと思うなら、さらにチップを貼り付けねばならず、そしていわゆるROM呼び出しをしなければならなかった。400回のROM呼び出しを、リアルタムで処理する方法などなかったからすべてサブルーチン化して行った。これらのことがうまく行われた。Macに最初に積まれたプロセッサが3MIPs以下の能力しか持っていなかったことを考えると、これはとんでもなくすごいことだ。もちろん今は、これだけの能力しかないマシンを見つけることすらできない。デジタル時計ですら初代のマッキントッシュより200倍も300倍もパワフルだ。(参考までに、現在のCore i3は40,000MIPs以上)

当時の極めて限られた条件で、スティーブがいかに多くのことを成し遂げようとしていたか。想像もできない。だから、1980年代にコンシューマ向け製品を作る人間にとっては、われわれが初代のMacで成し遂げた以上のことをするのは事実上不可能だった。1990年代に入り、ムーアの法則やテクノロジーの均質化といったことが取り上げられ、コンシューマ向け製品がどのようなものになるかのイメージを持つことが可能にはなったが、しかしそれを実際に作ることは出来なかった。現実的には、90年代の終わりあたりまでは、コンシューマ向け製品をどう商品化し、かつ小型化するかというせめぎ合いのなかで、適正な部品のコストを導くのは難しかったはずだ。そして突然、コンシューマ向けデジタル製品と本当に呼べるようなものをつくることが可能になるところまでパフォーマンスが上がってきた。25年前、スティーブの頭にあった方法論は正しいものだった。正しかったからこそ彼の第一原理であるデザインメソッドを確立できたんだ。その方法論はユーザーエクスペリエンスについてのものであり、詳細まで突き詰め、システムを見渡し、妥協せず、他のメーカーと比較するのではなく精巧な宝石と比較する、というものだ。こんな判断基準は誰の頭にもなかった。誰もが、安物の製品にパワーを与えてさらに安くするという進化の方向にしか目が向いていなかった。MP3プレーヤーがいい例だ。iPodが登場する以前にもたくさんのプレーヤーがあったが、今その製品の名前を思い出せる人間は少ないだろう。

トレードオフがあったとすれば、彼がシステム全体をコントロールしないといけないと信じていたことだ。彼が全て決定した。箱は閉じられていた。

 

Q:しかし、ユーザーエクスペリエンスがその動機だったのでは?

スカリー:そのとおり。DTPであれiTunesであれ、ユーザーエクスペリエンスがシステム全体を通底するものだ。全て、統括されたシステムの内部にある。製造についてもそうだ。サプライチェーンも。マーケティングも。ストアも。私が呼ばれたのも、私がデザインの知識を持っていて、かつマーケティングに通じていたからだ。私には製品マーケティングの経験があった。私がコンピュータの知識を持っていたからではない。

Q:それは興味深いですね。あなたはご自身の著書で、アップルをなによりも「製品マーケティングの会社」にしたかった、と言っていますね。

スカリー:そのとおりだね。私がアップルに入る前、スティーブと私は何ヶ月もお互いを知るために費やした。彼には自分で手がけたもの以外をマーケティングした経験がなかったから。これも彼の特徴だ。彼が重要だと思うことが何かあれば、彼は徹底的にそれを吸収しようとするんだ。

彼の興味を引いたことがある。私は彼に、ペプシとコカコーラにはそれほど違いがない、なのに売上は9対1の差だ、と説明した。私たちの仕事は、ペプシは注目に値するものだと人々に革新させて、最終的にそれを選んでもらう、ということだった。私たちが取ったのは、ペプシをネクタイのように考えてもらおう、という戦略だった。あの時代、人々はネクタイにとても気をつかっていたんだ。ネクタイが「こんなふうに君に僕のことをみてもらいたいな」というサインだった。だから、ペプシをネクタイに見立てようとした。手の中にあるペプシが「こんなふうに君に僕のことをみてもらいたいな」と、見ている人に思わせるようにしたんだ。

リサーチを行ってわかったことがあった。家で友人らに飲み物をふるまうときに、コカコーラの場合、キッチンに行って冷蔵庫を開けてコカコーラのビンを取り出してテーブルの上に持って行ってゲストの前でビンからコップに中身を注ぐ。一方ペプシの場合、キッチンに行き、冷蔵庫から取り出すと、そこで栓を開け、キッチンでグラスに入れて、グラスだけを客人の前に出す。つまり、ペプシを出していると知られるのが恥ずかしいと思う人々がいる、ということがポイントだった。恐らく、コカコーラだと思われるほうがいい、とその人たちは思っていた、ということになる。コカコーラのほうがいいネクタイだった。スティーブはこの考えに興味を持った。

私とスティーブは、認識がいかに現実をつくり、現実をつくるには、どのような認識を持ってもらえればよいのかについて、多くを議論した。そして、それを、ペプシジェネレーション、という言葉で表現したんだ。

60年代の文化人類学者のマーガレット・ミード博士に私が学んでいたのは、マーケターは多くの中流階級、いわゆる団塊の世代の出現を重要な事実としてとらえておくべきであるということであり、彼らは今60歳を迎えようとしている。彼らは収入を自由に使えた。生きるため、以外のことに彼らはお金を使えたんだ。

ペプシジェネレーション、という言葉を作ったが、それはもちろん飲み物のことではなく、ターゲットにしていたのはそれを飲む人間、その人間のマインドだった。

コカコーラは常に飲み物そのものに焦点を当てている。私たちはそれを飲む人に焦点を当てた。私たちはダートバイクや水上スキーをしている人や、凧を上げハンググライダーをしている人の姿を見せた。いろいろと違うことしている人の姿をね。そしてそのご褒美として、ペプシを飲むことができる。カラーテレビが普及し始めたころのCMだ。私たちが初めてライフスタイル・マーケティングと呼べる手法を採用した。最初の、そして最も長くつづいているライフスタイル・マーケティングを行っているのがペプシなんだ。

カラーテレビが出てきて間もなく、そのコマーシャルが19インチの大画面テレビに映し出された。白黒の小さい画面のテレビに映るCMを作っていたテレビ専門の業者には頼まなかった。私たちが向かったのはハリウッドだった。最高の映画監督に会い、60秒のCMを作ってくれ、といった。ライフスタイル提案の映画だ、と。全てはペプシが一番だという認識を持ってもらうためのものだった。自分が一番だ、と思わなければ、一番になんかなれない、という認識をね。自分を一番に見せなきゃならなかったんだ。

スティーブはこの考えが気に入った。いろいろとやることはあったが、いつMacを市場に出すかにはとくに力点を置いた。期待度を最高レベルまで高める。どんな製品で、何が出来るものなのか、みんなが知りたくてウズウズするまで。確かに最初の製品は多くのことはできなかった。テクノロジーのほとんどはユーザーエクスペリエンスのために応用されたものだから。こんなのおもちゃだろう、と言われることもあった。なにもできないじゃないか、と。しかし最終的には、テクノロジーがパワフルになるについれ、何でもできるものになったんだ。

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聞いたような話もあるし、なるほど、と思う話もありました。

しっかし、最後の段落あたり、初期の製品は結局UXを尊重するあまりいろいろと犠牲にしていた、ということはまあわかりますが、読みようによっては、今、iPadという製品をある種の極みとして、ジョブズが考えていたUX至上主義が花開いた、それまでの製品はいわばそのための布石だった、みたいにも読めてしまうのが、なんともスゴイことだと思うんですが。それは言い過ぎだとしても、そういうシナリオを描かせてしまうのが、やはりジョブズの天才たる所以なのか、と思ったりもします。

それにしても、友人の前でペプシをふるまう件、そういう時代もあったんだな、と感慨深くなりました(笑)。

それと、ソニー。往年のソニーファンとしては、なんというか、こみあげるものが・・・。

文系な私にはいまひとつよくわからない部分があるので、解釈が変なところ、是非ご指摘いただければ幸いです。

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