HyperMacが新機軸で再発売

HyperMacが新機軸で再発売されました。

HyperMacシリーズはMacBookに利用できる唯一の外付け用バッテリーでしたが、リサイクルしたMagSafeアダプタの一部を利用していたためにアップルとの合意により(11月はじめぐらいだったと思いますが)発売が中止されていました。

今回、アップル純正のApple MagSafe Airline 電源アダプタを活用することでMacBookシリーズで使用可能な仕様に改められ、再発売されました。こんな感じです。

私は今年のはじめに、4種類あるうちの下から2番目のものを購入し重宝していますが、当時と比べてMacBook AirにしろiPhone 4にしろ、バッテリ性能が上がってきているため登場機会が減っていることは減っているとはいえ、丸1日デバイスを使い倒す必要があり、なおかつ電源を気にしたくない、という場合には非常に助かります。そんなに使うことはないかな、とたかをくくっていましたが、省電力な環境を気にすること無くデバイスを使い倒せる気楽さもあり、平均すると週に1度は持ち出しているかな、と予想を上回る使用頻度です。特に海外に行くときは20時間以上連続で電源にアクセスできない場合もあるわけですから、これは非常に助かります。最小版(60Wh)でも新しいMacBook Air 11インチなら1.7回、iPhone 4ならほぼ12回(!)繰り返し充電できる。MacBook と iPhone の両方を充電したいシチュエーションが結構ある私としては、これはとっても助かっています。

2010年だからiPad

先日、iPadをいじりながら地上波テレビ局で放送されていたマイケル・ジャクソンの This Is It を見ていたとき、リハーサルに励むマイケルの声がなぜか『2001年宇宙の旅』のHALの声に聞こえてしまって、今年はじめに本ブログで書いた、『2001年』がらみの記事を思い出しました。コレとかコレです。

すると、その日の朝に読んでいたNew York TimesのNick Biltonによる Year of the Tablet, or the Year of the iPad? という記事も思い出し、私的には、どう考えても “The Year of the iPad” だろう、と思いました。Walt Mossbergも2010年のベスト製品にiPadをピックアップしています

最近ではタグもつけずに書きっぱなし、ということが多かったので、マイケルの声は以前書いたものを読み直すいいきっかけになりました。アーサー・C・クラークやらマーシャル・マクルーハンやら、すごい名前が出てきてるなぁと思いつつ、書いた内容を読み返しました。手前味噌ですが、引用します。

以前「クレイジーな人たち」のことをブログで取り上げたとき、マーシャル・マクルーハンの「挑戦と崩壊—創造性のネメシス」というエッセイについて少し書いたのですが、このエッセイでマクルーハンは上のウィンダム・ルイスの言葉を引用し、人類が生きのびるためには、新しいテクノロジーの意地の悪い一撃をかわし、完全に自覚した上でそうした暴力から回避することができる芸術家の能力が必要である、と主張しています。

考えてみれば、映画の原作者であるアーサー・C・クラークは、「アポロ計画が推進できたのはあなたのおかげだ」と国からお礼を言われているくらいの人ですし。ある芸術家の未来的ビジョンがテクノロジー発展の駆動力になるということは、普遍的なことなのかもしれません。ただこの場合、偉大な芸術家が描いた未来の歴史に従って「テクノロジー」が作られている、ということになるわけです。で、そのテクノロジーは「意地が悪い」(笑)のか、と。(略)

マクルーハン→クラーク→ジョブズというラインを意識しながらiPadを使うとき、iPadは決して「意地の悪い」テクノロジーにはならない。どんなに言われようと、一定の方向性が読み取れる潜在性を与えるというのは、作り手としての「責任」で、ジョブズはそれを自覚し全うしている。と、私は考えています。

iPadが登場し、「クレイジー」になったのは(私自身はその筆頭ですが)世間のほうだよなぁ、などと、いまや「タブレット戦争」なんて言われるような様相を呈している家電業界のありさまをながめながら考えたりしています。iPadの功績は特に、これまでニッチもニッチ、ほとんど無理だとされてきたタブレットデバイスの市場を、存在すら知られていなかった巨大油田を掘り当てたかのごとく開拓したという点でも、非常に大きいわけです。

ただ、エポックメイキングなものが登場すると、当初はその「モノ」に込められていたイメージとか比喩は、その後登場するあまたあるコピーによって当然薄められてくるわけです。私もすでに忘れかけていました。iPadは未来を具現化したものである、そしてiPadを通して見ることのできる未来がわれわれにはある、ということを。

スティーブ・ジョブズが『1984』にMacintoshを、『2001』年にiPodを、そして『2010年』にiPadを登場させたことに、意味がないはずがない。『1984』や『2001年』、『2010年』の宇宙の旅で見た未来を、ジョブズは現実のものにしたんです。そして、それらのものを通して、われわれが見る未来をも、彼はわれわれに与えている。

もちろん、日本人の体格にはGalaxy Tabのほうが合っているとか、いろいろあると思いますし、ジョブズの「出さない」にもかかわらず早晩アップルも7インチを出してくる可能性も大ですし、多様なタブレットが出てくることで選択肢が増える事自体はいいことだと本気で思っています。ただ、今思えば技術的にはもっと早い時期に出せたのではないかと思われるiPadが2010年に登場し、世界を変えてしまったことの「意味」は忘れてはならないんじゃないかな、と思います。

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