「クレイジーな人たちがいる」で泣く。
01/21/2010 4件のコメント
くどいですが、アップル信者歴まだ1ヶ月と10日ぐらいのzackyです。
タブレット(もしくはそれに類する)であろうと思われるアップルの新製品について “muse” する気分を前回のエントリでとりあげた記事ですっかりそがれてしまったのですが、なんだかなー、という気分で少しウェブブラウズしていたとき、なつかしい “Think Different” CMにたどり着きました。
「クレイジー」っていうコトバをCMにのっけるって、やはりハンパではないな、と今になって思います。
このCMを見て思い出したのが、マーシャル・マクルーハン。
マクルーハンは「挑戦と崩壊—創造性のネメシス」というエッセイで、「芸術家は未来の歴史を詳細に書くことに常に関わっている、なぜなら芸術家だけが現在というものの性質に気づいているからだ」というウィンダム・ルイスの言葉を引用して、人類が生きのびるためには、新しいテクノロジーの意地の悪い一撃をかわし、完全に自覚した上でそうした暴力から回避することができる芸術家の能力が必要である、と述べています。
今思うと、私が最終的にMacを選んだことの理由のひとつが、Macを最初に起動させてはじめに目にするディスプレイ上の画面に広告用のアイコンがひとつも並んでいないことです。Windows OSを積んだパソコンの殆どはいろいろなしがらみに塗れていて、私の場合、かつてWindows PCを使いはじめるときにはまずはそのしがらみを削ぎ落とすことから始めていました。
「テクノロジーの意地の悪い一撃」の比喩のひとつが、そういう業界のしがらみ、っていうのは言い過ぎでしょうか。そういう業界のしがらみで生計を立てている方々にはおそらくこの比喩は許しがたいものになるかもしれません。でも、世の中の流れに取り残されまいと、必死の思いでパソコンを買おうと量販店に出向いてどのパソコンが良いのかを店員に聞き、勧められて買ったパソコンを家に持ち帰ると、わけのわからないアイコンがディスプレイの上に並んでいる。削除していいかどうかもわからず這々の体でサポートに電話し、結局はそういった特定の方々への利益誘導サービスに対してさらに幾許かのお金を支払う。
これは、意地悪なことでは、ないですか?
少なくとも今のアップル製品は、そうしたこととは無縁だと、私は思っています。PCとは同じ土俵上に存在するプロダクツですが、ビジネスのあり方としては、明らかに隔絶した何かがある、と思っています。それってアップルの独占?という意見もあると思いますが、これについてはかなり難しい議論になります。今はこの問題は開かない。
アップルが完全にクリーンだなんて、これっぽっちも思っていません。でも、自分が支払う対価としてふさわしいものを、アップルの製品からは受け取っていると思っています。私はサポートを利用したことはほどんどありませんが、Genius Barは、そうした理念の現れだと思います。どうせお金を使うなら消費者のためにこういう使い方をしてほしい。ここでまたGenius Barなんてダメだ、という意見も出てくると思いますが、コンシューマ向け製品を作る企業の態度としては、至極当然のことであるはずだ、と思っています。
なーるほど。私はクレイジーなんでしょう。「世間の常識」からすれば。
でも、そういう世界ならば、私はクレイジーであり続けたい。というか、クレイジーな人が生み出すものを、敢えて愛でてみたい(泣)。悲しいんじゃないです。そういう必然で、出会うべくして僕はMacに出会ったと。運命を感じた涙です。うっ・・・。
1月27日、クレイジーなもの、待ってますよ。ジョブズさん。

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