ケータイ小説+私ケータイでメールできないんです

私が過去にモバイルを追究した理由のひとつに,ケータイで作文できない,という問題がありました。

ケータイとしては2台目だったと思いますが,N502を使い始めた頃,世間ではケータイでメールを打つことが常識となり始めていました。機械いじりがキライではないはずの私ですが,テンキーで文章を書くことにハナっから抵抗を感じていました。学ぼうとしなかったんです。いつまでたっても上達せず,今でもiPhoneの日本語は両手でローマ字入力です。片手でテンキーでスピーディーに文字を打てれば便利だと思うし,できる人がうらやましいです。

個人的にはある種の欠陥だと思ってます。

こんな思いに至ったのはケータイ小説のせいです。アマゾンでレビューをさまよいながら読んでいると,『恋空』のレビューにたどり着き,1436件(! 09年11月5日2:30A.M.時点)という驚くべきレビュー数に目を見張りました。おまけに☆5つが265,☆1つが1049と,ほとんどが両極端にわかれていて,☆5つについても,この作品で意図されている読み方以外の読み方をすればおもしろいよ,というアンチレビューがほとんどで,つまりほとんどがアンチレビューです。この数のどれくらいが同一人物によるものかは知りませんが,いずれにせよ,ひとつの作品に対するレビュー数としては極めて多い。

で,この作品が「小説」なのか,ということです。難しい定義は字数を無闇に増やすだけなのでやめておきますが,別にどちらでもいいという気持ちです。ケータイ小説と純文学の間には,ライトノベルやマンガなど,グラデーションのように多様なジャンルが点在していて,そうした中間ジャンルの読者層が純文学寄りだったり,ケータイ小説寄りだったり,ということは十分考えられますが,そもそも,ケータイ小説の読者層と,純文学に近い小説を普段から読む読者層がかぶる可能性はほぼゼロに近いでしょう。「これは小説か?」みたいな議論自体,無意味な気がします。純文学小説の立場から「これは小説ではない」みたいな判断をすること自体は,それはそれでいいわけですが,それだから,お話としての価値がない,と言い切ってしまう気にもならない。大多数のレビューに書かれているようなアンチな気持ちは,私には不思議とありません。

確かにね,私のようなおじさんが読むと「?????」の連続です。でもその?は,私の場合,ケータイで文字が打てない,という欠陥と関係があることが直感的にわかります。いや,ケータイで文章打てるけど『恋空』理解不能だよ,という方もいらっしゃると思いますが,これは私のほうが,この感覚を体現していることに自信があります。メディアに対する身体感覚と深く関係した世代間ギャップです。

むしろ心配なのは,レビューを見て感じましたが,この作品を主に読んでいる世代のむしろリテラシーの高い読者層に,自分たちを「ゆとり」で「ダメな世代」だと,自分たちの世代を自虐的に認識させてしまう機能が,ケータイ小説に備わってしまっていることです。

個人的には,そういう比較の対象にしてはいけないジャンルだ,と思ってます。「活字離れにさらに拍車をかける」悪影響がある,という意見もあるようですが,本当にそうでしょうか。だって,ケータイであんなに早く文字が打てる人たちなんですよ。これは皮肉でもなんでもありません。「近頃の若者は・・・」は歴史の常です。批判している世代とは異なる,何かいい意味ですごいことをやってくれる世代が,ひとつの予兆を見せている,と前向きに思っているおじさんもいるということです。だから,私の直感は当たっていてほしいんですけど。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。