Airとマクルーハン

いまさらマクルーハンでもないだろう、とおっしゃる方も多いかと存じますが、最近なんだか気になってずいぶんと読んでいます。

今日は基本にかえって平凡社ライブラリーの『マクルーハン理論』を読んでいました。「メディアはメッセージ(マッサージ)」とか「グローバル・ヴィレッジ」とか「グーテンベルクの銀河系」とか、キャッチーなフレーズだけ聞くと何言うとんじゃい、と突っ込みたくなりますが、早いものでは50年代に書かれたものが、50年後の今のメディア環境についてのあり方を既に見据えているようでもあり、やっぱり預言者か?などと勘ぐってみたくもなります。

まあ、それにも理由はあるとは思います。いちばんの理由は、純粋な意味での「科学的ではない」という批判とも大きくかかわっていますが、マクルーハンが本来英文学者であることが関係していると思われます。ただ、ことばの専門家だったからこそ、上記のようなキャッチによって多くの人の関心を向け、諸問題に対処するきっかけを提供できた、とも言えます。第2次大戦の際、(兵器についての)諸問題について本来の専門分野以外の人間が調査に参加したところいろいろと問題が解決した、という事例を(皮肉交じりに)挙げ、みずからがメディアの専門家ではない「しとうと」であることを、上記の本でも早い段階で宣言してます。「誰かがトラックが走ってくるぞと注意してくれたとき、その人になぜトラックを走らせるのか、と非難するのは失礼もはなはだしい。マクルーハンは、子供たちがものごとをよりよく学習するよう力になってくれるのだ」というJohn Culkinの前書きを読むとよくわかりますが、マクルーハンは何も知ったかぶりをしているわけではなくて、彼なりの知見、それも相当部分、教育者からの知見でメディアに関する彼なりの意見を「しろうと」として述べているにすぎない、というわけです。答えを出すことではなく提案をすることが目的であることに加えて、しろうとだからこそ大胆に言えた。預言者めいているのはこういう理由があるからかもしれません。

メディアが身体を規定する、その逆もまた真、というメディア論の基本的なアイデアもマクルーハンに拠ります。最も重要なのは音声によるコミュニケーションと文字によるそれの対比で、コミュニケーションに身体的に「インヴォルブ」することを非常に重要視しています。その意味では、日本でも一時期ありました「声に出して読みたい・・・」ブームとも関連がありそうです。Macbook AirとiPhoneを使っているモバイラーな私としては、身体とメディアとのかかわりという点についてふだんから意識することが多く、やはりマクルーハンに立ち返らないと、という思いが激しく湧き上がってきます。できればまた、もう少し深く掘り下げてみます。

ところで、今日はめずらしくTULLY’SでAirの写真なぞ収めて参りました。マクルーハンと一緒です。

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2 Responses to Airとマクルーハン

  1. marr0528 より:

    ザッキーさん、こんばんは。
    Wordpressに完全移行ですね!!おめでとうございます。

    この、Tully’sでのAirとコーヒーと書籍の写真、いいですよね。
    本来の用途の他に、こういう写真を撮りたくさせるAirは本当に素晴らしいです。

    更新、楽しみにしてます〜!

    • zacky1016 より:

      Marrさん、
      あはは、これは完全にMarrさんのまねです(笑)
      私はダイエット中なのでドーナツはなしですが(w)
      ほかにもがんばって写真アップしますね!
      よろしくです。師匠!

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