水嶋ヒロとポプラ社と小説と文学と

すんません、Macとは全く関係ありません。でも、ブログも1周年を迎え、これからはMac以外のことも、少し書かせてもらおうか、と、ちょっと私見を。

私自身は古典の文学はとても大事だと思っているクチで、時おり名作を読み返しては、先人の頭の中の隅っこを垣間見た気になっていて、それはそれで、今を生きる人間として、大事なことかな、と思っています。

今回、水嶋ヒロさんが作家宣言して引退して半年かそこらでポプラ社の文学賞を取って2,000万円もらえるはずだったのにそれを返上して、みたいなことがあったことで、「文学」という言葉がヤフーのトピックスやワイドショーという賑わいに登場した、という意味で、水嶋さんの努力はそれ相当の功績を残してくれた、と感じています。

出来レースだ、という見方もあって、それはそれで、私もそうかもしれない、という印象も持っているんですが、皮肉でも何でもなく、水嶋ヒロさんがポプラ社という出版社の賞を取ったということを、割と素直に喜ぶ気持ちも、実はあるんです。

私がポプラ社という出版社を知っているのは、主に私の子供達に買う絵本を通じてです。絵本は主に子供達が読む本ですから、その魅力が大人にわからないことは往々にしてあります。基本的には私が選別をするのですが、子どもが格別なこだわりを示す本については、悪質なものでない限り、何でこれがいいんだろうと私が思うような本だとしても、買い与えることもあります。子供を持ってから、そういう、自分の感覚ではない部分の感覚の豊かさを、大事にしようという気持ちが特に出てきたような気がします。

ときどき、私自身、本をある程度読んでいる、という意識に慢心し、特定の本を「つまらない」と思ってしまうことがあります。でも、それはやはり私自身が「つまらない」と思うだけのことであって、多くの人がそれを「面白い」と思えば、その本の価値はやはり高いことは間違いないわけです。ケータイ小説なども、それが売れる(売れた)事自体、意味があるんです。文学に通じている、と思う人が、見た目でケータイ小説の価値を決めること以上に、ケータイ小説そのものが(社会的に)持つ意味とか価値はあるのは確かで、私の子供が非常に好んで読んでいる絵本を出版しているポプラ社が水嶋さんの本を出版することにも、意味がないはずがない。

実は私、12月に発売が決まったという彼の小説の発売を、結構心待ちにしています。なんとなく、私が文学とか社会に求めている答えの一片が、彼の小説に隠れているような気がしているんです。

もし、彼の作品を読んで、思うところがありましたら、また本ブログで何か言うかもしれません。

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