アップルの秘密

「アップル好き」宣言から、実はまだ4ヶ月と少しなzackyです。

モバイルを中心に様々なガジェットを吟味し、考えぬいた上で、アップルを選んだ私としては、少しでも多くの人にアップルの良さをわかってもらいという思いを持ちながら、今ではブログを綴っております。畢竟、アップルバンザイな感じのエントリが多いのですが、それでも私自身が「良くない」と思うことについては、それを無理やり「良い」ものとして無理強いするつもりはない。

私が一つ反省しないといけないことは、例の新iPhoneギズモード事件のすぐ後に書いたエントリが、アップルによるシナリオ説を肯定する形のものになってしまったことで、もちろんこれは私の100%憶測によるものですので信ぴょう性のかけらもありません。今思うと、アップルも置き忘れた開発中の製品があんな形で晒されるなんてことは全く想定していなかった、というただそれだけのことのようにも思えます。アップルの秘密主義を支えてきたのも、人を信じるけども信じられる人に対する要求水準が極めて高い「性善説」的なスタンスを、社員の全てが理解して実践する、という社風が維持されていたからこそなのかもしれない、と思います。

ただ、この推測もあくまで推測です。いちユーザーとしては、使い易い製品があることだけで十分なですが、社会的影響力が大きくなればジャーナリズムが取り沙汰する機会も増えてくるわけで、こうした秘密主義はジャーナリズムがネタにする格好の材料になることは間違いない。

以前Mark Fioreの風刺イラストアプリをApp Storeがリジェクトし、フィオーレのピューリッツァー賞受賞後に今度はアップルの方からコンタクトがあったことが問題になりましたが、この件についてJohn Gruberが “It’s Not the Control, It’s the Secrecy” というエントリで次のように言っています。

If it is Apple’s policy not to allow any political satire in the App Store, that’s terrible. If that’s not Apple’s policy, and some individual App Store reviewer rejected Fiore’s app mistakenly, that’s terrible. Either way, something terrible is going on. But worse than anything related to this specific case is the bigger picture: we don’t know.(アップルが政治的風刺をApp Storeに認めないというポリシーがあるとすればとんでもないことだ。App Storeの評価者が個人的なミスで却下したとしても、とんでもないことだ。いずれにせよ何かとんでもないことが起こっている。しかしこの件に関して、その前提においてよくないことがひとつある。われわれが何も知らないことだ)

グルーバーの批評はApp Storeに関するものですが、このことは今回の新iPhone事件についても示唆的な部分があるかな、と思います。

アップルの秘密主義は私のような新参アップル信者でもよく知っているほど有名であり、今回のような事件があると、そうした社風が何らかのかたちで関わっているのではと憶測させてしまう傾向がある。上記の部分に続けてグルーバーは “Apple might think they’re coming out ahead by not publishing their actual rules, because the current situation leaves them tremendous case-by-case discretion.”(アップルは実際のルールを公表しないことで優位に立つことができると考えているかもしれない。なぜならとてつもない数の個別の判断に迫られる状況に彼らが現在身をおいているからだ)と言っていて、これはアップルの社風の現状を理解するには示唆的です。

アップル製品に分厚い説明書がついてこないことはアップルユーザーなら誰でも知っています。使い易いインターフェースがあるから、使えるところから使い始めてデバイスに触れながらだんだん慣れていってね、わからなければジーニアスバーもありますよ、という、「説明書がない」こと自体が持つメッセージは、少し時間が経てばなるほどと思える。さっき「人を信じるけども信じられる人に対する要求水準が極めて高い「性善説」的なスタンス」をアップルが社員に取っている、という仮説を示しましたが、ユーザーについても、「人」を「ユーザー」に変換すれば(そして「極めて」を取れば?)同じスタンスでアップルが臨んでいることがわかります。

ただ、既存のアップルユーザーにとってみれば全くもって賢明なこれらの方法も、「不親切」であるとして理解してもらえない場合がある。つまり、今風に言うなら「見える化」されていないことを、欠点だと見なす向きもある、ということ。

App Storeの風刺イラストアプリ採用不採用の一件は、その場その場での判断が仇となったケースだと言えます。iPhoneを落としてしまったG.P.氏の件についても「そんなことは言われなくても自覚しているはずだ」という社風を彼が読みきれていなかっただけなのかもしれない。ただ情報の少なさが引き起こすのは、その後彼が「非情」なジョブズに「解雇された」、いや「解雇されていないと聞いた」(by Steve Wozniak。というか彼でもよくわかってませんし) といったもはやゴシップ合戦のような様相で、ここに至るとさすがにどうでもよくなってくる。だって真相がわからないのですから。

いちアップルユーザーとして仲間が増えることはとてもうれしいことなのですが、仲間が増えれば暗黙知の領域も当然狭まります。App Storeの一件や今回の新iPhone事件があぶりだしているのは、グルーバーにいわせれば「われわれが知らない」ルールについての、潜在的”for the rest of us” な人々も含めた全てのアップルユーザに対する「インターフェース」を、もう少し整備することの必要性なのかもしれない、などと思っております。

広告

アップル製品の寿命

身につけるものの流行とかにはとんと無頓着なzackyです。

無頓着なだけに、長く使いたい(笑)。だから長く使えそうなものを選びたいという頓着はあるんですけど。時計はオメガのスピードマスターをもう10年以上、カバンは基本コーチ、これは15年以上、靴は6年同じDr. Martensを履いていて、最近ようやく新しい(でも同じ型の)ものをおろしました。ジーンズはリーバイスの501、スーツは無印良品。メガネも気づけば7年目。たぶんメーカーが同じものを作り続けてくれるなら一生同じものを身につけてると思います。時計なんかは失わない限りは買い換えることもないでしょう。

で、今ではここにアップル製品が加わったわけです。MacBook Air、Pro、iPhone、iPod、iPad、どれをとっても、問題なく動いてくれる限りは、一生でも使っていたいと思うものばかり。

だから、どれくらい動き続けてくれるのだろう、と時折心配になる、というのはあります。

Apple Careの保証は3年だからこの間は心配なく使えるとして、それ以降はどうなんだろう、と。2008年にMacBook Airを買うまではそれなりのMacユーザーだったのでこのあたりの実体験に乏しいのですが、2002年に買ったiBook G3を2007年にバックライトがだめになるまで使い続けたので、少なくとも6年近くの耐久性は私自身で確認していることになる。もちろんバックライトを交換すれば使い続けられたので、まだ+αの期間はあったことにもなります。

The Apple Blogに Apple Hardware Longevity(アップルのハードウェアの寿命)というエントリがありました。筆者のJon BuysさんはiPod miniを数カ月前まで使いまくっていたそうなのですがついに動かなくなった(と思った)ので、興味を示していた2歳の息子さんのおもちゃにしたそうです。その後おもちゃと化したiPod miniはコンクリートに落とされハンマーと化し、お風呂のお供にもなったそうです。これほどまでにくたくたになってしまったデバイスを見たことがない、という状態にまでになったとき、上の娘さんが iHome Clock Radio にこのiPodを差したところ、なんと一度は壊れたと思って数カ月赤ちゃんのおもちゃとして酷使されていたiPodが息を吹き返した、というんです。これにはBuysさんも驚愕(astonished)したそうです。クリックが効かない部分があったりと、かなり傷んでいるとはいえ、iHome側からの操作は受け入れたということです。

この後Buysさんは読者のアップル製品長持ち武勇伝コメントを募集し、まだPowerPCが健在だ、Duo 230を最近使うのをやめたところだ、Newton、3年前まで動いてたよ、などといった報告が出てきています。

実は私、iPhone裸族なのですが、何度も落下させてます。立った状態から2度、コンクリートの上に落下させました。もちろん角に傷がついたのですが、無事でした。2度目に落としたときなどはさすがに諦めましたが、ラッキーなことに無事でした(決してマネはしないでください)。そして感心しました。

iPad導入後、立ち位置が微妙と言いましたMacBook Airですが、もちろん処分したりする気は毛頭なく、以前のiBookより長持ちさせたいと思っています。その他のものも、命ある限り使いたい。

アップル製品って、そういう思いを持ってしまいたくなるんですよね。なぜか。

皆様のアップル製品長持ちエピソードなどはありますか?

アップル好きが集う町

アップル製品の所有率が最も高いのはサンフランシスコのベイエリアだそうです。

Experian Simmonsが、iPod、iPhone、Macのいずれかのアップル製品を所有する成人の割合を独自のシステムで調査したところ、1位はサンフランシスコ-オークランド-サンノゼを含むベイエリアとのこと。このエリアにはアップル本社のあるクパティーノ市も含まれますから当然といえば当然でしょう。成人の実に32.3%が上記のアップル製品3種のいずれかを持っているとのこと。ほぼ3人にひとりの計算になりますね。

2位以下はボストン、サンディエゴ、ニューヨーク、ワシントンDC、シカゴ、デンバー、モントレー-サリナスエリア、サンタバーバラ-サンタマリナ-サンルイオビスポエリア、ラスベガス、となっています。

それにしてもアメリカ全体でもアップル製品所有率が21.6%とのことで、5人にひとりは必ず何か持っている、ということですから。

日本はどうなんでしょう?

そういえば去年価格.comが行った調査によるとスマートフォン所有者の55%はiPhoneを使用している、とのことでした。確かに最近iPhoneを持っている方が増えたなー、と実感することは多いのですもの。Macを町で見かけることもよくありますが、もう少し仲間が増えてもいいかなー、なんて思うことも時々あったりします(笑)。

先日のサンフランシスコではスターバックスに通いつめていましたが、スタバでパソコンを開いている方の9割はMacでした(笑)。スタバにはMacが集まることと、MacWorldが開催されていたというタイミングも考慮しないといけませんけど、私には天国(笑)でした。

サンフランシスコは初めてだったのですが、この町がえらく気に入ってしまった理由の一番はMac好きが集まるからだったのかも!?  考えてみれば当たり前ですね(笑)。Mac好きはベイエリアに集まりましょう。

アップルがもたらすウェブの福音

いつまでたっても文系ガジェット批評のスタンスは崩さない(というか当然崩せない崩しようがない笑)zackyです。

Steven Johnsonというライターさんの “Rethinking a Gospel of the Web” という記事が少し前のニューヨーク・タイムズにあったのですが、ここでジョンソンさんは、多くの人がオープンなプラットフォームのほうがより “generative”(生成的、生殖的)だという前提でこれまでやってきたけど、実際のところいくつかの重要な点においてはアップルの閉じた設計思想のほうがプラットフォームの “generativity” に貢献している、という主旨の論を展開しています。

この記事では一言も言及されていませんが、Googleとの一連の係争においても中心的な話題となっていた、「開かれた」ほうがいいのか「閉じた」ほうがいいのか、という議論のまとめのようにも読める記事で、私のような文系人間にも非常にわかりやすかったです。

単なるまとめにも見える記事ですが、この記事で私が興味深いと思うのは、革新性と多様性は開かれたプラットフォームによってもたらされる、というひとつアイデアが、アイデアの域を超えて gospel(教義)になってしまっていた、というか、「開かれた開発環境」というアイデアが福音である、と思わせるような状況が当時においては在った、ということを暗に指摘している点です。

このあたりの私見については、アップルとHTC(事実上はGoogle)が争っているさなか、Tim BrayがGoogleに雇われた件について書いた拙記事にもありますので参照いただければと思うのですが、ジョンソンさんの記事を読んでやっぱり考えてしまうのは、「開かれた」=「民主的」あるいは「自由」=「善」という、一見明解な3段論法が、果たして「真」なのか、ということ。

実は私もかつて「開かれ」のゴスペルに魅力を感じてLinuxを使おうと努力したことがありました。ところがやはり学んでいる時間がなかった。その世界に通じている人には理想的な環境なのかもしれないけれど、ある特定の目的のために電子機器を使いたいと思う人達のための思想ではないのだな、ということを使い始めて2日目ぐらいで早くも感じてしまいました。「開かれている」こととはつまり、原則として全てを一から学ばないといけないことを意味するのではないか、と。無理なんです。

プログラムのプの字も知らない私なので見当違いのことを言っていたら申し訳ないのですが、iPhoneやiPadにFlashが乗るかどうかということについてこれだけ議論喧しいのも、この問題が基本的にはこういった優先的プラットフォームの選択の問題に関わっているからだと私的には理解しています。

iPhoneやiPadが全てなんてことはありえない。電子機器業界全体として見れば極めて少数派です。ジョンソンさんはアップルの設計思想を “a gospel” としていますが、”a” がついているあたり、それが全てではない、というニュアンスもあるのかな、と思います。ただ、現在においてアップルが提供する開発環境が、往時のLinuxや今のAndroidなどの「福音」に対抗するものであると認識しうる状況は十分にあります。そしてもしそれが「福音」であるならば、それをロールモデルとする実践が今後普及していくことも十分予想されるところです。特にiPadはこれからのタブレット型デバイスの分野を牽引していく存在に間違いなくなっていくであろうと予想されるような状況でもありますし。

アップルが提供している開発環境を “walled garden”(壁に囲まれた庭)と比喩(揶揄)する向きもありますが、ジョンソンさんは、この環境がうまく運用されるならば、壁に囲まれた庭は、ウェブという “ecosystem”(生態系)における “rainforest”(熱帯雨林)になりうる、と締めくくっています。

私はすでに、Mac/iPhone/iPadがないと生きられない体になっているんですけど(笑)。

オフ会報告

当ブログでも告知いたしておりましたが、3月27日に六本木「豚組 しゃぶ庵」さんで行われました「KindleとAppleの会」、盛会のうちに終了いたしました。
この会は、当ブログ管理人のzackyが日ごろお世話になっておりますThe Art of Marr’s BlogのMarrさんが、Marrさんと私zackyの趣味趣向にご賛同いただける方々にお集まりいただき、美味しい料理を囲んで語らおう、という主旨で企画されました。
当日はもう4月も間近というのに冷たい風が吹きすさんでいましたが大勢の方がお集まりになり、謳い文句の「史上最高の豚しゃぶ」通りめちゃくちゃ美味い豚しゃぶをいただきながら、zacky的にはまこっっとに為になる話をいろいろと伺うことができました。
実は私、そもそもオフ会というものに参加すること自体が初めてでしたので最初はいささか緊張していたのですが、みなさんの非常に広く深い知見に触れていくにつれだんだんと大胆になってお話に加わらせていただくことができたかな、と思っています。いやー、オフ会っていいですねぇ(笑)。また機会があったら参加させていただければと思います。

何を隠そうMarrさんは私のブログとTwitterの師匠で、半年ほど前に右も左もわからずブログを初めて以来、アドバイスをいただいたりして本当にお世話になっています。Marrさんにはこの場を借りて改めてお礼申し上げます。
また、会にご出席になさった皆さま、会の冒頭の自己紹介で申し上げた通り、まだまだ未熟者なので、今後もいろいろとご教示いただければ幸いです。
会がある!というといきになかなかすぐには出向かえないところ(奈良)に住んでいるのですが、機会があればぜひまた参加したいと思っていますので、今後とも皆さまよろしくお願いいたします。

それと、おでこさん。
びっくりしました。
いそがしくて結局桃ラーを買えずじまいで、なんだかなー、と思っていたところ、「しゃぶ庵」で桃ラーを食することができるなんて、思ってもいませんでした。会に参加のみなさんも桃ラーは初めてのご様子でしたので、すごく喜んでおられました。
素敵なサプライズ、ありがとうございました。

というわけで、zacky初めてのオフ会は、とても良い思い出になりました。
Twitterに関しては、まだまだ私は使いこなせておらず、対応が不十分になってしまっているかもしれないので、ご容赦いただければと思います。
改めてMarrさんはじめ、参加された皆さまに御礼申し上げたいとおもいます。ありがとうございました。

しゃぶ庵のおいしいお肉をバックにおでこさんサプライズの桃ラー

アップルがカッコいい理由

先日、アップルがカッコいい、と言ってはみたものの、ほとんど直感的な印象で語っていたので「説得力ないなあ」と私的に思っていたところ、なんとまあすばらしい記事に出くわしました。

1stwebdesigner.comの “60 Apple Inspired Websites – Why Apple Design Works?” という記事で、アップルのウェブデザインがなぜゆえにこうもかっこいいのか、が分析されています。

記事を書いたのはDainis Graverisさん。グラベリスさんはまずアップルのウェブサイトのデザインの特徴を示すのですが、ふだんウェブデザインの特徴など全く気にせず見ている私にはわりと目から鱗な項目がいくつかありました。

・明色基調、微妙なグラディエント

・白色の空白が効果的に使われていること

・クリアーな字体

・製品の美しい写真

・テキストの意味を強調するためにアイコンがよく使われていること

・すっきりとしたグリッドシステム

・はっきりとわかりやすいナヴィゲーション

・製品の特徴をわかりやすくするためにうってつけの写真、ビデオ、字体

・小さい字体も用いられるが読みやすいこと

・特定の場所に注目を引くためのコントラストの使い方

・わかりやすく段階を追った説明とサポート

・No Flash (!) ロードタイムを減らすためのJavascriptの多用

いやあ。なるほど。私のような素人にもわかりやすい。とくにこれ。

白いスペースが効果的に使われている、って、白ってアップルのウェブサイトでは当たり前すぎて、それが効果を持っているなんて、なんというか考えもしなかったのですが、さすがウェブデザインという観点から見ると、極めて強い特徴として浮かび上がるわけですね。勉強になります。

こうした特徴がアップルのカッコいいデザイン性を裏付けるものなわけですが、このアップルのウェブデザインに影響を受けているとグラベリスさんが考える60のウェブサイトが、示されます。まあ、アップル関連の製品を作っているし、特徴がかぶっていて当然かなと思うものもありますが、これ

なんかは私的には、アップルっぽさと自社っぽい特徴がうまく融合されてるかな、と思ったりもします。

OSXを使い始めた頃、アクアな基調と美しい字体の印象が鮮烈で、それだけでMacを使いたい、と思ったことを思い出します。そういえば24日ってOSXが発表された日でしたね。WIREDが This Day In Tech の ‘March 24, 2001: Apple Unleashes Mac OS X‘ という記事でOSXのことを “the beating heart of today’s Macs, iPhones and, soon, the iPad” (MacやiPhoneそしてまもなくiPadの鼓動するハート)って言ってます。

アップルって、カッコいいですね。

iPadがアップルの新たなブランディグのチャンスだ、という記事を読んで、アップルのブランドイメージについて少し考えてみました。

アップルがブランドイメージづくりに長けている企業であることはアップルファンならずとも周知の事実であろうと思います。brandchannel.comによる2009年の調査では「最も革新的で魅惑的な製品のパッケージングのプロデュース」、「最もうまく危機から立ち直った企業」、「最も意欲をかきたてるブランド」の3項目でアップルのイメージはトップでした。2008年には10項目のうちの6つでトップで、他の4項目については3つがネガティブなもの、1つが環境への配慮に関するものなので、brandchannelのbrandijunkie awardの調査に基づくならば、2008年はアップルが良いブランドイメージを実質的に独占した年だと言えます。2008年は MacBook Air が登場した年ですね。この調査は3月末頃に発表されていますので、例年通りだと今年ももうすぐ発表されることでしょう。

私なりに、そのイメージの良さの理由について考えてみたところ、とりあえずふたつ思い当たりました。

① アートな文脈で使われている

② どんな環境にもなじむ

まずは①。

例を挙げればきりがないので直近の経験から思ったこと。

先日のアメリカでのアップル体験についてはこの記事を皮切りにある程度レポートしましたが、実は行き帰りの飛行機内で偶然体験がいくつかあって、そのうちのふたつがアップルに関するものでした。

ひとつは、往路便の機内で読むために持ち込んだウィリアム・ギブスンの Pattern Recognition のストーリーのなかでiBookやG4 Cubeが重要な小道具として使われていたこと。ギブスンはこの作品以前はいわゆるサイバーパンクと呼ばれるSFの作風で書いていたのですが、この作品ではじめて同時代的な設定を取り入れました。そのギブスンの初めての同時代描写においてMacたちが道具として用いられたわけです。G4 Cube、懐かしいですね。

もうひとつは復路便で音楽ビデオを見ていたのですが、そのなかにサカナクションの「アルクアラウンド」があり、その凝った作りに感心していたところ、やはりMacBook Proが登場。40歳台前半のオジサンゴコロもくすぐる音楽に加えてMac好き宣言したての私のマインドにビシッと来ました。

そもそもこの旅は、私がアップルファンを自称して初めての旅で、アップルな事象については極めて敏感になっていました。私がアップルに開眼していなければギブスンの小道具としてのMacもなんとなく素通りしていたかもしれません。

時代の先端を行くアートな人たちはMacを使う。Macを使う理由があるからです。実質的に。

次、②。

Macって、どんな環境にもマッチする。たぶん、Mac自体がモノとして完結しているから、周りの環境との整合性に関与しないんじゃないかな。

オフィス環境にも、日常の風景にも、都会にも田舎にも、どこにあっても違和感がない。

ふだんオフィスの机の上に置かれているMacは、それはそれでやはり意欲を高めてくれたり和ませてくれたりする外観と質感を漂わせているわけですが、家の自室でくつろいだ気持ちでMacに向かっている時にも、ちょうど心地よい、ダレることもなく疲れることもないペースでインスパイアし続けてくれる。

ニューヨークのストアを訪れたとき、5番街やブロードウェイの超近代的な外観の建物や、SOHOや西14番通りの再利用した石とレンガ造りの古めかしい建物のどちらにもフィットして、Macという「オブジェクト」は常にすでにそこにあった、という雰囲気さえ感じさせる、そんな存在感があるなと思いました。

ブロードウェイのストア

ソーホーのストアの窓の外

もっと言うなら、私は最近故郷の奈良の片田舎に引越して来ましたが、古の大和人が愛でたのと同じ風景が広がるこの環境にさえ、Macはマッチする。ただ田んぼが広がってるだけだったりしますが(笑)。

そういうわけで、近々ブログタイトル変更します。その名も

『田園Mac』(!)

乞うご期待(笑)。