『プーさん』に込められたジョブズの思い

「ぼく、もうなにもしないでなんか、いられなくなっちゃったんだ。」

「もうちょっとも?」

「うん少しはできるけど。もうそんなことしてちゃいけない んだって。」

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私が「なにもしないでなんか、いられなくなっちゃった」のがいつの頃か、もうはるか昔のことのようで、記憶にありません。子どもの頃のピュアな気持ちなど、はるか昔にどこかに忘れてきてしまって、その痕跡すらありません。

時おり思い出します。子どもの頃に買ってもらったおもちゃのいとおしさを。10代の頃に聴いた音楽のかけがえのなさを。

でも思い出すだけで、そのときに感じたそのいとおしさやかけがえのなさを、再び本当に感じることなど、もはやない、と思っていました。

英国の俳優でありライターでもあるStephen FryのジョブズへのインタビューがTIMEに掲載されています。そのなかでジョブズが明かしたのは Winnie the Pooh がiPad に同梱される、ということ。

緊張のあまり何を質問したか記憶にすらない最初の5分間ののち、フライは例の「リベラルアーツとテクノロジーの交差点」に触れ、「それと、コマース(商売)の交差点もではないですか?」とジョブズに問いただしました。「もちろん商業的な側面もあるけれどそれが出発点じゃない。製品と、その製品を使う人が何をどんな風にできるか、が出発点だ。iBookを見たかい? 」とその問いに答えながらジョブズがフライに見せたのが、iPadに同梱されている『くまのプーさん』で、ジョブズの気取らない愛嬌のある顔が、フライには印象的だったようです。

『プーさん』に、商業センスを覆い隠すためのジョブズのあざとさが透けて見える、という人もいると思います。でも、それならば、大の大人が、このiPadにこれだけ興奮しているのはなぜなのか。

ひょっとして私は、子どもの頃に感じてすでに忘れてしまった「いとおしさやかけがえのなさ」をiPadに期待しているのではないか。

そして、iPadはその期待を裏切らない、と、不思議なことに、私はもはや確信すら持っています。

ジョブズはiPadを “profound” で “magical” なもの、と言います。

「なんにもしないでなんか」いられない大人が、記憶の片隅にかすかに残っているかもしれない子どもの頃のピュアな気持ちと興奮を、ひょっとしたら思い出すことができる。

iPadに込められたジョブズの思いを、まもなく世界の多くの人が受け止めることになります。

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iPad。先を見据え、道をつくる。

ねぼけまなこで書いた日本語があまりにも変だったので、書きなおしました。

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iPad。

一度はしっくりきたと思ったのですが、少しゲシュタルト崩壊気味です。

padって、そもそもなんなんだ、と改めて疑問を持ってしまいました。

英和辞典はいろいろありますが、敢えて英辞郎の “pad” の意味。

名詞。

【名-1】当てもの、パッド、詰め物、当て物、埋め板

【名-2】メモ帳、便箋

【名-3】〔動物の〕足の裏の柔らかい部分

【名-4】〈俗〉家、部屋

【名-5】生理用ナプキン

んー。私的には2番目の意味あいでしか見てなかったな。1番目はどーなんだろう。

動詞。

【自動】徒歩で[歩いて]行く、そっと歩く、踏み固める

【他動-1】~に詰め物をする、いっぱい詰める、当て物をする、~を長引かせる、水増しする

【他動-2】~を徒歩で[歩いて]行く、そっと歩く、踏み固める

「踏み固める」ねえ。

「水増しする」? iPhoneあるいはiPod Touchの「水増し」がiPad?

・・・・・・。

正直言うなら、iPad、当たり前すぎる、っていう気がするんです。

当たり前、というのは、名前じゃなくて、製品のこと。サプライズがある意味なかった。予想を上回ることがなかった気がする。でも、iPadっていう名前は、一見当たり前みたいだけど、本当に当たり前か? 確かに予想されていた名前の中にはあったけど、少し意表をつかれた気がした、というのが、ジョブズが最初にiPadと言ったときに受けた印象かも。

サプライズはなかったけどもちろんアップル製品としての基準は完全にクリアしている。だんだんと欲しくなってきて買いたいと思い始めた。発売されるまでになんとか口実をつくって買おうという気持ちにも完全になっている。不満などあろうはずがない。

でも、製品としてのインパクトは、あるのかな? 特にiPhoneに慣れてしまったユーザーに対しては?

アップル信者であろうとして、無理やり嵩上げして見ている、っていうことはないかな?

自問自答しました。

やっぱり「リベラルアーツ」に答えがあるような気がします。

「リベラルアーツ」について先に触れましたが、ジョブズが中退したリード大学はリベラルアーツ・カレッジ。ちなみにアメリカ合衆国の現大統領バラク・オバマもハワイを出て初めて本土で通った大学がLAにあるオクシデンタル・カレッジというリベラルアーツ系の大学です。その後オバマはコロンビア大学に行きます。

リベラル・アーツ・カレッジは全寮で少人数制をとっているところが多く、まさに教養を身につけ、しっかりと考えることを学ばせる教育機関である、というのが一般的なイメージです。治安が悪い都市部の大学に通わせるより、自然の中でしっかりと子供の面倒を見てくれる全寮制の大学に通わせたいと思うアッパーミドルクラスの家庭の子息が多いかたわら、人種的マイノリティ、経済的弱者層に属する学生が多く、奨学金を得ている学生の割合も多いようです。その後、より専門的に学ぶために大学や大学院に行く卒業生も多い。

ジョブズのUIに関する思想は、できるだけ多くの人に開かれたインターフェースをいかに実現するか、という一点に集約できると思うのですが、iPadは、その思想が端的に現れている製品だということは間違いないと思います。そして教育の分野でもその思想が生かされる可能性は高い。

そんなiPadが、果たしてアップルが提示するタブレットの最終形態なのか?と問うとき、あくまでiPadはとっかかりにすぎないのではないのか?という感慨があります。もちろんタブレットデバイスとして群を抜いていることは間違いないんだけど、そんなことは当然で、ひょっとしてもっとずーっと先の、このジャンルのデバイスの発展性を見越した上で、夜明け前の、まだまだ黎明期のデバイスとしての存在感を示すことが、今回のiPadの発表に込められた真の意図だったのかも、などと思ったりもします。デスクトップピクチャは夜明け前だし。発表時のジョブズのプレゼンも、iPhoneのときのもったいぶった導入に比べるとなんだかあっさりだった気もしますし。むしろこれからが大事なのだと。

iPadを通してジョブズが見据えるのは、ひょっとしたらわれわれの想像だにしない、ずっとずっと先の未来のことなのかもしれない。

ギークだけが使えるものではあるはずがない。万人がすべからく使える製品でなければならない。でも子供だましではない。世界の深奥までたどりつけるのではないか、と思わせるようなデバイスでなければならない。

リベラルアーツに話を戻すと、ジョブズとオバマというリベラル・アーツ教育を経た二人の巨人が今のアメリカをある意味牽引している。テクニカルな面で肝心なところではウォズに頼りっぱなしだったジョブズ。その意味では、モノづくりに対する執着はあったはずですが、ウォズとの比較で言うならジョブズはギークではなかった。専門性ももちろん大事なんだけど、しっかりと鍛えられた思考の上にこそ、豊かな専門性は成り立つ。そのためのリベラルアーツ。ジョブズはオバマによる一般教書演説と同じ日にiPadイベントを行いましたが、リベラルアーツをキーワードにして二人の関係性も読み取れる。もはや偶然と言うには無理がある。

そんな感慨を、iPadを通じて持つに至っております。

【他動-2】~を徒歩で[歩いて]行く、そっと歩く、踏み固める

うーん。歩みだしは賛否入り混じるはっきりしないものだけど、着実にしっかりと道を踏み固めていく。

iPadが今まさに、道をつくり始めた、のでしょうか。

iPadに映る奈良、アップルのある生活

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私がiPad発表後すぐに書いた記事で「リベラル・アーツ」について触れたところ、Marrさん(アップルiPadの登場と、次世代iPhoneに期待すること。)とundecupletさん(ジョブズ(Steven Jobs)のことば~キンドル(kindle)とリベラルアーツ(Liberal Arts))がこのことについて取り上げてくださいました。お二方とも今回のiPad発表の件に関係した深い洞察をお示しです。是非ごらんください。

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iPad。

知れば知るほど、私の今置かれている環境と、今回のこのiPadという製品の登場に、ある意味運命のようなものを感じるところが多くなってきて、困っています。

その理由のひとつが、先の記事でも書きましたが「リベラル・アーツ」。この記事では敢えて「教養」としました。アメリカでも現在ではさすがに「リベラル・アーツ」ということばが持つ力は、ジョブズが若かりしことに比べると弱くなっているのでは、と思います。日本でも「教養」は大事だとはされながらも、やはり昔のように「教養」という言葉が金科玉条ではなくなっている。そんななか、「教養」について深く考えることが、一昨年ほど前からの私の重要課題になっていました。

来月のMacWorld Expoへの参加宣言をしていますが、今回のアメリカ行きの主な目的は、実はこの「教養」について調べることだったりします。ですから、「教養」という言葉が私の日々の暮らしのなかで結構なウェイトを占めていて、アップル関連のイベントも兼ねて「教養」について調べようとアメリカに行こうとしているタイミングで、日本語で「教養」の意味も示すことがある「リベラル・アーツ」というアイデアをジョブズが唐突に持ち出したことに、とてつもない驚きを感じてしまいました。

今年度いっぱいで現在居る徳島を離れ、私の生まれ故郷の奈良に帰ることになったのですが、奈良に帰ることになった理由も、実はこの「教養」と深くかかわりがあります。

そして奈良は今年、平安遷都1300年という節目の年を迎えているのですが、なんと、iPadの紹介ビデオに奈良が登場します(2分過ぎあたり)。平安遷都1300年を扱ったNew York Timesの記事がiPadの画面上に出てくるのです。(現時点では記事トップの写真が変わっています)

パラノイア?

そうかもしれません。でもそうではないような気がします。

Mac好き!と言ってから、私の生活がとてつもない面白さ、知的な興奮に満ちてきたことは間違いありません。私自身の人生の節目の時に、偶然の一致にしては面白すぎることが、アップルをめぐって起こっている。

アップルライフ。不思議です。そして、驚きに満ちています。そして何より、楽しいです。